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大きな転換点を迎えている建築界。 意匠、構造、設計、施工、管理まで、 皆がきちんとした価値観を持ち、 連携していくことが重要である

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田辺新一

 建築環境学を専門とする田辺新一の研究者としての道のりは約40年に及ぶ。住宅やオフィスビルのみならず、例えば自動車の室内環境や病院の感染制御など、様々な空間に関する研究を手がけるが、それは、端的に言えば「快適性・健康性の追究」にほかならない。人間が快適に過ごしていくためには、設備や建築をどうすればいいか――研究活動の中心にあるのは常に〝人〞だ。数々の団体の要職や関係省庁の委員を務め、また、企業との連携プロジェクトにも積極的に関与するなか、田辺が示してきた研究成果は公益に資するところが大きい。現在は、早稲田大学の「スマート社会技術融合研究機構」の機構長として、広く豊かな社会づくりに尽力する日々だ。

「人の環境を考える」学問に惹かれ、研究者の道を志す

 田辺は北九州市の小倉で生まれ育った。幼い頃はやんちゃで、「ちっとも言うことを聞かない子でした(笑)」。好きだったのは電気や機械に関することで、小学生の時にはアマチュア無線の免許を取得。当時としては九州最年少だったという。のちに早稲田大学に進学するまで建築意匠は未知の世界だったが、実のところ、田辺は地元でちょっとしたゆかりを持っている。

 通った小中学校は明治学園というところで、ここは筑豊御三家の一角を占める安川・松本財閥が創設した学校です。僕が行っていた頃にはノートルダム修道会が譲り受けていて、校内には修道院や風格ある木造の講堂がありました。また、同級生には安川家の末裔もいて、よく家に遊びに行ったのですが、こちらの西洋風の邸宅も立派でした。並んで建っていた松本邸は辰野金吾の設計。西日本工業倶楽部となり、重要文化財に指定されています。旧安川邸には辰野金吾の設計案もあったということは後から知ったのですが、辰野金吾は早稲田大学の建築学科創設に尽力した人物でもあり、今となっては不思議な縁を感じますね。

 福岡県立の小倉高校に入学してから一番励んだのはバレーボールの部活で、国体の予選までいったから、わりに強かったんですよ。文武両道の厳しい学校でね、昨今ならば問題視されるような叱られ方もしたけれど、先生方の愛情がとても深く、いい時代でもありました。とにかく面白かったし、今でも集まれる恩師や仲間にも恵まれました。

 子供の頃に夢中になって読んだ科学雑誌や本の影響は大きく、ずっと電気とか機械に興味があったものだから、将来はエンジニアにと考えていた時期もあったんです。ただ、僕は一浪しまして、この時期を境に、何となく建築に向かっちゃったんですよ(笑)。

 浪人時代、田辺は受験勉強よりも本ばかり読んで過ごしていたそうだ。なかでも惹かれたのは人文科学の本で、文化人類学を学びたいと考えるようになる。しかし、こちらの道は受験合格叶わず、結果的に入学したのが早稲田大学の理工学部建築学科だった。

 建築を選んだのは、理工学部の中でも文化的な香りがする学科に入りたいと思ったから。電気や機械もいいけれど、建築に比べると歴史が浅いでしょう。例えば、近代冷房が発明されたのは1902年。諸説ありますが、アメリカで〝冷房されるビル〞ができたのが最初で、ここからしか歴史がないわけです。何万年という歴史を有する建築にはとても太刀打ちできない。その文化的な香り、そして建築には人の環境を考える領域があるという点に惹かれたのです。なので僕には、建築家になりたい、デザインをやりたいという考えはあまりなかったんですよ。それに、入学すると周りは絵が上手い人ばかり。スケッチやデザイン演習を得意にこなす同級生たちを見て、自分が仕事にするのは無理だろう、違うとも思っていました。 そのなか、魅力的だったのが恩師である木村建一先生の授業です。いわゆる建築物理学で、建築計画原論が光や熱、風などの物理学的要素で成り立っていることを教えてくれました。そして、それらを数式に基づいて設計に取り込む。この〝解く感覚〞がものすごく面白かったのです。これが僕のやるべき仕事だと思えるほどに。

 そういうわけで〝木村研〞に入り、卒論も取らせてもらいました。当時、木村先生は科学研究費による自然エネルギー研究の代表をされていたこともあり、卒論で行った研究は「自然エネルギー複合利用住宅の年間エネルギーシミュレーション」というもの。今のZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)のような研究です。この頃の実社会では、環境設備系はまだまだ日の当たらない領域だったけれど、今にすれば、先駆的なテーマに取り組めたことは大きかったと思います。

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多くを学んだデンマーク留学を経て、研究活動に全力を注ぐ

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PROFILE

田辺 新一

田辺 新一
Shinichi Tanabe

1958年8月12日 福岡県北九州市生まれ
1982年3月 早稲田大学理工学部建築学科卒業
1984年3月 同大学院博士前期課程修了
1984年11月 デンマーク工科大学暖房空調研究所
1986年4月 早稲田大学理工学部・助手
1988年12月 お茶の水女子大学家政学部専任講師
1992年4月 カリフォルニア大学バークレー校環境計画研究所
10月 お茶の水女子大学生活科学部助教授
1997年2月 デンマーク工科大学エネルギー研究所、ローレンスバークレー国立研究所客員研究員
1999年4月 早稲田大学理工学部建築学科助教授
2001年4月 早稲田大学理工学部建築学科教授
2007年4月 改組により、早稲田大学理工学術院 創造理工学部建築学科教授

主な受賞
米国暖房冷凍空調学会(ASHRAE)R.G.Nevins賞(1989年)、
日本建築学会賞(論文)(2002年)、空気調和・衛生工学会賞
(1995年・2007年・09年・13年・14年・22年・23年・24年)、
日本環境感染学会賞( 2 0 1 2 年)、室内環境アカデミー
Pettenkofer賞(2016年)、文部科学大臣表彰科学技術賞受賞
(研究部門)(2020年)、令和2年度産業標準化事業表彰経済
産業大臣表彰(2020年)
2018年5月 空気調和・衛生工学会会長(~2020年5月)
2021年5月 日本建築学会会長(~2023年5月)
2022年12月 早稲田大学
スマート社会技術融合研究機構機構長

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