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【第12回】今、我が国には、都市、土木、建築に 明るい、プロのゼネラリストが必要だ

【第12回】今、我が国には、都市、土木、建築に 明るい、プロのゼネラリストが必要だ

東京大学大学院工学系研究科建築学専攻 教授 大月敏雄

ひょんなことからスラムに興味を持った私は、学生時代から、その研究に打ち込んだ。実際に海外のスラム街に出かけたことも、何度もある。その結果気づいたのは、我々の“業界”も“タテ割り”では限界がある、ということである。

スラムをよくしようとしたら、例えば下水道を整えるといったインフラ整備が要る。これを考えるのは土木の仕事だ。

「商業機能や医療拠点をどこにつくるか」というのは、都市計画の範疇。かつ、スラムとはいえハウジングを無視することはできない。一個一個の建物を安く快適に住めるようにデザインするのには、建築の知識と技術が必要になる。これらをトータルに捉えることが重要で、別の人間がバラバラにやろうとしても、決してうまくはいかないのだ。

なにも遠い外国の、スラムに限ったことではない。3・11の被災地には、個々の建物は素晴らしいのに、都市としては機能していないとか、その逆の例とかが、残念ながら結構ある。再開発の結果、まちがズタズタになってしまった、景観を破壊する建物が突然出現した、といった話は、日本中、枚挙にいとまがないほどだ。多くの場合、それは“3分野”の連携ができていないことによって引き起こされる。

そうなる原因は、ズバリ教育にある。例えば東大には、社会基盤工学科と都市工学科と建築学科があるが、3者の“交流”はあまりない。まったく別々のことを勉強し、「その道の専門家」になっていくのである。前2者は「鳥の目」からまち全体を俯瞰するのだが、人間一人ひとりが視界に入ってくることはない。「ヒューマンな空間を確保するためには、ここにあと20㎝必要だ」といった発想には、なりにくいのである。逆もまた真なりで、建築はどうしても「目の前のクライアントの心に刺さる建物は何か」を志向するようになり、いきおい“全体”を慮る視点が希薄になってしまう。

これは建築分野の中にも当てはまる。東大建築学科にはかつて、「オールマイティな人づくり」の伝統があった。関東大震災後の旧東京帝大復興を主導した内田祥三先生は、構造がわかり、都市計画にも、もちろん建築設計にも明るかった。戦後も、1960年代ぐらいまで、東大はそうしたゼネラリストの育成を旨としていた。それが、いつの頃からか、学問領域が専門細分化されるようになってしまった。

とにかく産めよ増やせよの高度成長時代には、それでよかったかもしれない。だが、多様化し成熟した世の中に受け入れられるまちづくりを進めるうえで、細分化された仕組みは障害にさえなっている。まずは“学”が建築の原点に戻り、発想を転換すべきだ、と私は思う。

戦後量産された多くの「ニュータウン」は、成熟の時代に対応したつくり替えを行うことなく、高度成長期の空間構成のまま、高齢化が進んでいる。それに比べて、古い寺や神社が昔のまま残り、平屋の民家あり、高層マンションあり、富裕層もそうでない人も“同居”しつつ、外国人が数多く訪れる東京「谷根千」(谷中、根津、千駄木)の佇まいは、どれだけ魅力的なことか。これからの時代に求められるのは、そうした「本物の成熟」である。それがデザインできるのは、「縮尺を超えた発想」を持つ人間なのではないだろうか。

PROFILE

大月敏雄

大月敏雄
Toshio Otsuki

1991年、東京大学工学部建築学科卒業。
96年 東京大学大学院博士課程単位取得退学。
同年、横浜国立大学工学部建築学科助手。
99年、東京理科大学工学部建築学科専任講師。
2008年、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻准教授。
14年より現職。『集合住宅の時間』(王国社)など、共著・単著多数。

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