【第6回】“最初からパソコン”では育まれない 建築家に求められる発想力
協立建築設計事務所 代表取締役会長 日本建築士事務所協会連合会 会長 大内達史
私は、学生時代を夜間部で過ごした。もともと大学に行くつもりなどは毛頭なく、高校3年の時には自分で就職先を探し、内定通知も受け取っていた。ところが、それを知った、普段は温厚で口数の少ない父親に、「これからの時代、大学ぐらい出なくてどうするのだ」と一喝され、兄が通っていた日本大学理工学部建築学科に入ったのだ。その時は、3年になったら昼間部に編入すればいい、ぐらいの軽い気持ちでいた。
しかし、授業が始まると、まさに衝撃の連続だった。周囲はみんな苦学生で、昼間働いたお金を家に送り、余った分で授業料を捻出しているような人間ばかり。中には、設計事務所で働いているような男もいて、図面の引き方などは、プロはだしである。私は、彼らに鉛筆の削り方から教わった。小さな頃から手先が器用で、ものづくりを生業にしたいと考えていた私にとって、同級生たちは最高の先生だったのだ。
大学には、建築関連の会社をやっているような人も通ってきた。私は頼み込んで、その会社で昼間働かせてもらったりもした。そうやって、実践をとおして設計、建築というものを血肉にすることができた。夜間部に行ったからこその、得難い4年間だったと思っている。
今の若い人に、そんな学び方をしろといっても無理なのは承知している。だが、設計を勉強する(教える)人たちに、一つだけ言いたいことがある。最初からパソコンに頼らないでもらいたいのだ。建築デザインとは、手で描いて、スケッチして脳に覚え込ませるものであるはず。そうした基礎もないままに、いきなりパソコンで描くのは、ブロックを組み合わせるパズルと同じである。
私は、今でも若手の図面をチェックする。すると一瞥した瞬間に、おかしなところがパッと“見える”のだ。「君、ちょっとここのスケッチを描いてみて」というと、案の定、描けない。自分の頭ではなく、機械が引いた図面だからそうした誤りも多くなる。まして、その人間の感性にあふれた、生きた図面になどなるはずがない、というのが私の考えである。
母校・日大の建築学科のある教授にこの話をしたら、すぐに授業にフィードバックしてくれたのには、感激した。3年生までは、手描きの授業に切り替えたのである。ありがたく、また貴重な取り組みだと思う。日本中の建築の教育現場に広がってほしい、と切に願っている。
あらためて言うまでもなく、今日本の建築業界は様々な問題を抱えている。職人不足の深刻化も、その一つだ。少子化の現実をみるならば、“人”の面からこれを打開するのは、困難性が高い。ならば、“設計”にできることはないのだろうか。現場で一人でも少ない人数で作業できるような図面を描く。設計者に対しては、例えばそうした時代環境に即した発想力が、ますます求められていることを痛感する。
私事で恐縮だが、私は今年6月に日本建築士事務所協会連合会の会長に就任した。業界の倫理、技術の一層の向上を図り、衣食住の一角を担う重要なポジションにある建築士の地位向上を実現することが、会に課せられた重要な任務だと自覚している。微力ながら、今後も全力を尽くしたい。
- 大内 達史
Tatsushi Oouchi 1967年、日本大学理工学部建築学科卒業後、協立建築設計事務所入社。
72年、工事監理部新設を提案し、初代責任者に。
86年、取締役工事監理部長。
90年、取締役設計統括。
98年、三代目のオーナーとして代表取締役社長に就任。
グループ会社、協立総合研究所、協立ファシリティーズの代表も務める。
日本大学桜門工業クラブ理事長。