植物と建築を最適につなぐ提案で、 新たな顧客と市場を開拓し続ける
古谷デザイン建築設計事務所 古谷 俊一
紆余曲折の道を辿り自分のスタイルを獲得
小学校の卒業アルバムに、「将来の夢は設計士」と書いていた古谷俊一氏。建築工具を扱う金物問屋に生まれ、自宅に最新の工具が並ぶ環境だった。実家を新築する際には仮病を使って学校を休み、大工の仕事をじっと見ていたという。初心を貫き、大学は建築学部に進学したものの、準体育会のゴルフ部の活動に没頭。大学院で早稲田大学の石山修武研究室の門を叩くが、学部時代の作品に特出して評価できるものはなく、最初は門前払いされた。
「授業だけ受ける研修生制度を1年間利用し、その間に作品をつくって先生に認めてもらいました。ただ、院試の英語の点数が足りず、さらに1年浪人。その間は、建設現場のバイトでお金を貯めて、海外30カ国ほどを旅していました。今思えば、いい経験でしたね」
〝石山研〞は実務を手伝うスタイルであり、当然いち早く設計に加わりたい。しかし、1年目はなかなか声がかからず歯がゆい思いをした。突破口となったのは、石山教授の展示の企画である。モックアップや会場装飾を、工具を使って手早くつくり上げる手際が認められたのだ。それ以降は、設計担当としても名前が挙がるようになった。
「卒業後は石山先生の下に残ることも考えたのですが、結婚が決まっていたこともあり、ゼネコン設計部を推薦していただきました。当時は就職氷河期で、ゼネコンの設計者採用は1、2名。大手にほぼ内定して4月からの所属先で働いていたところ、形式的に受けた最終面接で落とされてしまいました」
そこで古谷氏が向かったのが、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのIDÉE。1年間は創始者である黒崎輝男氏のそばで働きたいという思いから管理部に所属し、後にデザイン部に移ってイベント設営などに携わった。大きな転機は、自身で手がけたガーデニングイベントが企業の目に留まったことである。小さな頃から祖母の影響で植物が好きだったことから、見様見真似で造園を手がけていた。新たにガーデン部門を設立し、玉川高島屋改修工事など多くの案件の受注につながったという。しかし7年後、IDÉEの運営体制が変わり、転職に踏み切らざるを得なくなった。
「IDÉEでの活動は意義のあるものだった一方で、ビジネスやお金の動きに鈍感な一面もありました。そこで、一連の建築の流れを学ぶためにUDSに転職し、3年ほど働きました」
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- 古谷 俊一
ふるや・しゅんいち 1974年、東京都生まれ。97年、明治大学理工学部建築学科卒業。
2000年、早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修了(石山修武研究室)。
IDÉE、都市デザインシステム(現UDS)を経て、
09年、古谷デザイン建築設計事務所を設立。22年、みどりの空間工作所設立。
著書に、『みどりの建築術』(エイ出版社)、『みどりの空間学』(学芸出版社)など。
京都芸術大学客員教授。一級建築士。
- 古谷デザイン建築設計事務所
所在地/東京都目黒区碑文谷3-1-1
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