“川上”“川下”との連携が強み。ニーズを探り、理想の病院設計を提案
戸田建設 建築設計統轄部 計画設計部 医療施設系
目指すのは〝働きやすさ〞
早くから医療施設の建設に力を入れ、〝病院の戸田〞と称される実績を持つ同社の計画設計部には、医療施設専任のメンバーが13名いる。同部医療施設系グループ長の竹村和晃氏は「構造設計部、設備設計部にも、兼任も含めて病院担当の人間が5、6名ずついて、案件ごとにチームを組んで設計を行います」と設計の陣容について説明する。
自ら専任の設計者として26年のキャリアを持つ竹村氏によれば、「病院はほかの建物とは違う難しさ、あえていえば面倒くささがある」のだという。
「病床が500床ぐらいの規模だと、全体の部屋数は2000〜2500ほどにもなるんですよ。しかも病室以外に各種外来の診察室があり、検査室も血液検査の機器類が並ぶ部屋があれば、放射線を使う場合にはシールドが不可欠。そうした個々に求められる要件をクリアしつつ、一つの医療機関として最適な環境をつくるためには、それなりの知識と経験が必要なのです」
そんな病院の設計において同社が最も重視するのは、よくいわれる〝患者目線〞ではなく、〝スタッフの働きやすさ〞。
「患者さんの満足度は、建物などでは決まりません。求めているのは、お医者さんや看護師さんたちの親身で適切な対応です。それを実現するためには、何よりも働きやすい職場であることが大事なのです」
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「その日に結果の出る外来」を提案
理想の病院づくりで力を発揮するのが、設計の〝川上〞に位置する医療福祉部との連携だ。同部は最前線の営業部隊をサポートしつつ、患者がどれくらい集められるかといった市場調査から、事業計画立案の支援、スタッフのパフォーマンスの検討といった様々な調査、コンサルティング業務を司っている。
「医療福祉部と情報交換し、時には一緒にコンサルをやるなかで、お客さまが本当はどんな病院にしたいのかが明らかになってきます。そういう個々の要望の〝ソフト〞に合った〝ハード〞を提供できるというのが、我々の強みだと思っています」
ニーズに応えるだけでなく、提案もする。極め付きのキャッチフレーズが、「その日に結果の出る外来」。検査だけで病院を何往復もし、最終結果が出るまで不安を抱えたまま1カ月待たされた、といった経験をした方なら、その意味するところはわかるだろう。
「検査部門をもっと前面に出し、規模を大きくすれば、それは十分可能です。出来上がるのは従来とはバランスの違う病院になりますが、患者さんに喜ばれ、ひいては増収を可能にするはず」
ところで〝病院の戸田〞は、未来の医療機関のスタンダードとなるであろう新しいコンセプトを、医療現場と共に生み出してもいる。2005年に新設された東海大学医学部付属病院(神奈川県伊勢原市)に世界で初めて導入された、入院患者を対象とした「PFM(PatientFlow Management)」もその一つだ。
「病院の1階には落ち着いた内装に面談ブースを備えた入退院センターが設けられ、入院が決まった患者さんは、そこで担当の看護師さんから丁寧な説明を受けることができます。このPFM部門には看護部、医事部、ソーシャルワーカーなどが結集していて、それまで各部バラバラだった患者の入退院情報を一元管理します。それによって無駄な空きベッドが解消され、回転率が飛躍的に高まることが、医療機関にとって大きなメリットになるんですよ」
まさに医療の現場を知り尽くした、同社ならではの成果といえるだろう。
「医療機関がますます厳しい環境にさらされ、競争も激化するなか、ハコだけつくって『はいどうぞ』という時代ではなくなっています。幸い我々ゼネコンの設計は、〝川上〞との連携だけではなく、設計段階から施工部隊と様々に検討を重ね、よりよい結果を追求していくこともできます。そうしたメリットを最大限生かして、いっそう医療機関から信頼される存在になっていきたいですね」
- 戸田建設株式会社
所在地/東京都中央区京橋1-7-1
TEL/03-3535-1354
http://www.toda.co.jp/
1881年(明治14年)、戸田利兵衛が戸田方と称し、請負業として創業。1936年、株式会社戸田組に組織を改組。
63年、現在の戸田建設株式会社に商号変更し、69年に東京証券取引所第2部上場、
71年、同1部に指定替えとなった。
91年には当時の戸田守二社長が「同じ単価ならば日本一の品質を送り出す“品質日本一”」
への方針を打ち出す。
官公庁、教育文化施設、集合住宅、商業施設などの幅広い建築、
土木工事に携わるゼネコン準大手だが、特に病院、学校関連に強みを持っている。