頭に思い描いたものが 実際の建物空間になる。しかも 毎回違うテーマに挑戦できる。 それが建築家のやりがい
東 利恵
「星のや」と聞けば、誰しも一度はそこで非日常に浸ってみたい、と思う施設だろう。その世界観の創造に欠かせない役割を担ってきたのが、建築家・東利恵だ。所長を務める東 環境・建築研究所は、同ブランドをはじめとする星野リゾートの宿泊施設をメインに、住宅や商業施設などを広く手がける。
印象に残る建物を数多く設計した東だが、それらは自らの〝作品〞ではなく、〝プロジェクト〞だと言う。例えばそんな一言に、唯一無二の建築を生み出す術が凝縮されているのかもしれない。
父の事務所を継ぎ星野リゾートの案件に取り組む
留学先で充実の時間を過ごしていた85年、父親から一本の電話がかかってくる。「大阪大学の教授になるから、パートナーシップのかたちで事務所の所長にならないか」と。実質的に、この事務所を継いでほしい、というオファーである。さすがの東にも、「20代で父の事務所の所長になる」ことは、想定外だった。
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父が大学教授になるなんて、まったく知らなくて。大学院を修了すると、1年間のトレーニングビザが取れるんです。それで、もう1年アメリカにいようと思っていたのですが、考え方によっては、これはチャンスだな、と。父の事務所に行けば、土台はある程度しっかりしたものがある。お給料が払えなかったりした状況も見ているので、経営は大変かもしれないけれど、学ぶところもあるはずです。私自身、運とか縁とかを大切にしたい、という気持ちもあって、数日考えた末に、「じゃあ帰ります」と返事をしました。
とはいえ、設計者としては新人です。帰国して事務所に入ると、わからないことは所員に教えてもらいつつ、上に立つ〝所長業〞もこなす、という奇妙で複雑な立場に置かれました。周囲も困惑したに違いありません。
そんな状況で取り組んだ初めての仕事は、父の知人である芸術家の工房、「大原のアトリエ」でした。この建物の設計には、コーネル大の修士設計で展開した理論を採用することにしました。それをベースに、父や事務所スタッフのサポートも受けながら仕事を進めることになったのですが、最初の見積りで予算の倍近い金額が出てくる、という事態に直面します。どうしたらいいのか、事務所のスタッフに聞くと、「物価本が参考になる」と。
そこで、馬鹿正直にすべての見積り単価をチェックし、コンクリートの体積まで計算して、修正したものを工務店に持っていって、「こうなるはずだ」とかけ合いました。相手は苦笑いしていましたが、実際は決して物価本どおりにいきません。〝常識知らず〞が露呈したわけですが、この経験は、その後の見積書の査定に大いに役立ちましたから、無駄ではありませんでした。
減額の方法は、施主の協力と父のアドバイスを仰ぎながら、諸々設計変更を行うことで実現しました。そんなノウハウも含めて、この計画に取り組むことで、木造からRCまで実際の建築とはどういうものか、基本の基本を押さえることができました。
そうやってできた建物を見て、自分の思い描いたものが形になるのは、こんなに嬉しいものなのか、と。万が一、施主が気に入らないと言ったなら、借金してでも私が買おう、と本気で思ったくらい(笑)。初仕事で得たあの感激は、今でも忘れられません。
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少しだけ時間を戻そう。コーネル大への留学1年目の夏、語学のサマースクールで出会ったのが、のちに星野リゾート代表となる星野佳路氏だった。コーネルの大学院でホテル経営を学んでいた彼に頼まれ、ホテルの提案課題を建築化してアクソメをつくったことも。帰国後も連絡を取り合っていたが、91年に星野氏が家業を継いだタイミングで、コテージの家具について相談される。以後、東は星野リゾートの施設に多くかかわることになった。
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本格的な案件としては、「軽井沢ホテルブレストンコート」が最初です。もともとあった結婚式で知られていたホテルを改修するわけですが、休業させずに短期間で、という条件付き。検討の結果、構造補強を施しつつ、ウエディングに相応しいデザインに改修しようと決めました。事務所の所長になって10年経験を積んでいた私としても、初めての規模のプロジェクトです。失敗したら、星野さんにとっても大きな打撃になるので緊張しましたね。
余談ながら、町の人は新築のホテルだと思ったらしく、実際の工事費の10倍ぐらいかかっていると話していたそうです。そう誤解されるほどの出来栄えだったというわけです。その後、日帰り温泉施設「星野温泉トンボの湯」、そして「星のや軽井沢」を皮切りに「星のや」ブランドの宿泊施設、観光ホテル「OMO7大阪」などを次々に手がけることになりました。
星野さんは、マニュアルをすごく嫌う人で、毎回自分たちで一からつくり上げていくイメージなんですよ。同時に、「僕にはデザインの良し悪しはわからない。だから、そこは建築家の判断に頼るしかない」というスタンス。大げさに褒めてもくれないけれど(笑)、機能面以外のデザインを「ああしろ」「こうしろ」というような口出しはしません。一緒にブランドをつくっている、という思いで仕事ができるのは、建築家冥利に尽きます。「トンボの湯」の設計からは、必要性を感じて、ランドスケープアーキテクトのオンサイト計画設計事務所に加わってもらうことにしました。ランドスケープは建築家の下につくことがありますが、私たちは対等の立場です。
ランドスケープアーキテクトは、周囲の自然だけでなく建築も含めた〝風景〞をデザインします。その結果、建物をどんどん動かしたりする。私とは毎回、白熱のバトルです。でも、そうやってお互いがいいと思うことを主張し、折り合えるものを見つけていく。施主の星野さんを含めて、それが私たちの仕事の進め方といえますね。
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- 東 利恵
Rie Azuma 1959年10月5日 大阪府池田市生まれ
1982年3月 日本女子大学家政学部住居学科卒業
1984年3月 東京大学大学院工学系研究科
建築学専攻修士課程修了
1986年8月 コーネル大学建築学科大学院
単位取得修了後、
東 環境・建築研究所代表取締役
1988年8月 M.ARCH取得
2024年4月 日本女子大学特任教授・特別招聘教員主な受賞
「ホテルブレストンコートプライベートコテージ」で日本建築家協
会優秀建築選など。「星のや軽井沢」でARCASIA Awards
Gold Medalなど。「亀甲新」で日本建築家協会優秀建築選など。
「OMO7大阪 by 星野リゾート」で土木学会デザイン賞 優秀賞な
ど。「シーパルピア女川+ハマテラス」で第5回復興政策賞・計画
賞・設計賞 復興設計賞など。