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大きな転換点を迎えている建築界。 意匠、構造、設計、施工、管理まで、 皆がきちんとした価値観を持ち、 連携していくことが重要である

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田辺新一

 建築環境学を専門とする田辺新一の研究者としての道のりは約40年に及ぶ。住宅やオフィスビルのみならず、例えば自動車の室内環境や病院の感染制御など、様々な空間に関する研究を手がけるが、それは、端的に言えば「快適性・健康性の追究」にほかならない。人間が快適に過ごしていくためには、設備や建築をどうすればいいか――研究活動の中心にあるのは常に〝人〞だ。数々の団体の要職や関係省庁の委員を務め、また、企業との連携プロジェクトにも積極的に関与するなか、田辺が示してきた研究成果は公益に資するところが大きい。現在は、早稲田大学の「スマート社会技術融合研究機構」の機構長として、広く豊かな社会づくりに尽力する日々だ。

多くを学んだデンマーク留学を経て、研究活動に全力を注ぐ

 以降、田辺は修士・博士課程へと進学し、先の木村教授の下で研究者としての道を歩み始める。その過程において最大のトピックとなったのは、デンマーク留学だ。エネルギーに関することに加えて、快適性・健康性の研究に打ち込むようになったのは、この留学によって受けた影響が大きい。

 修士時代に住宅の温熱環境についての研究を手伝うようになり、これが快適性の研究に進む入口となりました。ソーラーハウスの実験住宅が建設された時期で、木村研はその測定・検証を担当していたんです。熱や温度の物理的な計算と人の生活行為には違いがあるから、なかなか実態に近づけなくて難しかったのですが、それだけにこの研究はとても興味深く、面白かった。建築物に対して快適性を考慮する重要性をはっきり認識したのもこの頃です。

 この道の世界的大家であるデンマーク工科大学のファンガー教授の下で学ぶ機会に恵まれたのは、博士課程に進んでから。ファンガー教授とは友人でもあった木村先生が取り計らってくれたのです。先輩たちからは「快適性の研究なんかでは将来食っていけないぞ」と言われたけれど、そこは子供の頃からのやんちゃ精神が生きてよかった(笑)。留学してから、「これはくる。いずれ日本でも重要なテーマになるはずだ」という確信を持てましたから。

 デンマーク工科大学の暖房空調研究所に雇用されるかたちでの留学で、ちなみに、これが僕にとって初の海外渡航。えらく緊張して向かったのを覚えています。そんな僕を、ファンガー先生は温かく迎えてくださった。研究施設は素晴らしいし、先進的な研究や議論は面白かったし、何よりプロに囲まれての仕事は刺激的で、非常に恵まれた環境で学ぶことができました。

 もう一つ。実際の暮らしのなかでデンマークの住居環境を体験したのも大きかったですね。現地では住宅の半地下を間借りしていたのですが、これがなかなか快適だったのです。築100年経っているのにちゃんと断熱されていて、温水放射パネル暖房も付いているなど、「快適とはこういうことか」と感じる要素が随所にあった。当時の日本とはまったく違う住宅環境を、身をもって知ったことは収穫でした。

本取材は、2024年11月25日(月)、早稲田大学西早稲田キャンパス(東京都新宿区)55館にある田辺新一研究室で行われた

 木村研究室との行き来をしながら約2年間、田辺はデンマークで学んだ。「助手にするから戻ってきなさい」と、木村教授から連絡があったのは85年末。当人としてはもっとデンマークに滞在していたかったそうだが、追って早稲田大学での助手就任が決まり、「さすがに帰らないと(笑)」。翌86年に帰国、田辺は助手の仕事に追われながらも精力的に研究を続けた。

 仕事や雑事にまみれていたから、大がかりな実験に基づく英語での博士論文がなかなかはかどらなくて。学位を取ったのは88年、助手の任期の最終年でした。さて次、就職はどうしようか。任期付き雇用というのはやはり不安定なもので、さすがの僕も、先行きを案じる気持ちになったものです。そんな頃、声をかけてくださったのが、デンマーク時代にご一緒したお茶の水女子大学の長谷部ヤエ先生。被服学科の講師にならないかと。建築とは離れることになると思いつつ、これもご縁ですよね。僕は研究テーマにしてもそうですが、岐路に立った時は「人が選ばないほうを選ぶ」ようにしているので、飛び込むことにしました。 服も縫えないのに、なぜ家政学部の被服学科だったか。実は関係があって、被服学科では着心地の評価にも取り組んでいたのです。着衣した時に蒸すか、蒸さないかなど、つまりは快適かどうかの観点があり、僕の研究は服にも生かすことができたわけです。

 当初は、サーマルマネキンを利用して衣服の熱抵抗や室内環境を測定したり、アジアの民族服を集めて、人工気候室で測定したりといった研究をしていました。この研究は発展して、アジアの民族服は気流があると風が通るため、熱抵抗が減少していることがわかりました。蒸暑地域の建物と同じ構造ですよ。風が通らないと涼しくない。服にも同じ工夫がされていたわけです。

 家政学は生活者の立場から環境を考えるという点がユニークで、建築学科だけに在籍していたら、角度の違う発想は得られなかったと思います。こういうのが研究の面白さですよね。その後、お茶の水女子大学では家政学部が生活科学部へと改組され、建築や住宅環境を研究するセクションができたので、晴れて〝住〞をやれることになった(笑)。ここからまた研究領域が広がり、加えて研究以外にも、様々なプロジェクトにかかわる機会に恵まれたのです。

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研究のみならず、様々なプロジェクトにかかわり、功績を残す

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PROFILE

田辺 新一

田辺 新一
Shinichi Tanabe

1958年8月12日 福岡県北九州市生まれ
1982年3月 早稲田大学理工学部建築学科卒業
1984年3月 同大学院博士前期課程修了
1984年11月 デンマーク工科大学暖房空調研究所
1986年4月 早稲田大学理工学部・助手
1988年12月 お茶の水女子大学家政学部専任講師
1992年4月 カリフォルニア大学バークレー校環境計画研究所
10月 お茶の水女子大学生活科学部助教授
1997年2月 デンマーク工科大学エネルギー研究所、ローレンスバークレー国立研究所客員研究員
1999年4月 早稲田大学理工学部建築学科助教授
2001年4月 早稲田大学理工学部建築学科教授
2007年4月 改組により、早稲田大学理工学術院 創造理工学部建築学科教授

主な受賞
米国暖房冷凍空調学会(ASHRAE)R.G.Nevins賞(1989年)、
日本建築学会賞(論文)(2002年)、空気調和・衛生工学会賞
(1995年・2007年・09年・13年・14年・22年・23年・24年)、
日本環境感染学会賞( 2 0 1 2 年)、室内環境アカデミー
Pettenkofer賞(2016年)、文部科学大臣表彰科学技術賞受賞
(研究部門)(2020年)、令和2年度産業標準化事業表彰経済
産業大臣表彰(2020年)
2018年5月 空気調和・衛生工学会会長(~2020年5月)
2021年5月 日本建築学会会長(~2023年5月)
2022年12月 早稲田大学
スマート社会技術融合研究機構機構長

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