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大きな転換点を迎えている建築界。 意匠、構造、設計、施工、管理まで、 皆がきちんとした価値観を持ち、 連携していくことが重要である

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田辺新一

 建築環境学を専門とする田辺新一の研究者としての道のりは約40年に及ぶ。住宅やオフィスビルのみならず、例えば自動車の室内環境や病院の感染制御など、様々な空間に関する研究を手がけるが、それは、端的に言えば「快適性・健康性の追究」にほかならない。人間が快適に過ごしていくためには、設備や建築をどうすればいいか――研究活動の中心にあるのは常に〝人〞だ。数々の団体の要職や関係省庁の委員を務め、また、企業との連携プロジェクトにも積極的に関与するなか、田辺が示してきた研究成果は公益に資するところが大きい。現在は、早稲田大学の「スマート社会技術融合研究機構」の機構長として、広く豊かな社会づくりに尽力する日々だ。

研究のみならず、様々なプロジェクトにかかわり、功績を残す

 お茶の水女子大学に足場を移して10年。この間、田辺は、温熱環境、室内空気質、空調に関する研究などを広く手がけ、また、国や民間企業とともに様々なプロジェクトにもかかわってきた。「建築はやはり実学。こもっていてはダメで、実際の建物やプロジェクトにかかわってこその研究です」。

 通産省(当時)から「国で住宅プロジェクトをやるので手伝ってください」と声がかかったのは、僕が30代半ばの頃。「ハウスジャパン」という94年に始まった技術開発プロジェクトです。千葉県の舞浜に実験住宅を建設して、様々な取り組みを行うなか、僕は環境やエネルギー、快適性の分野でかかわったのですが、7年間で90億円使ったという、今では考えられないようなロングレンジなプロジェクトだったので、強く印象に残っています。

 この頃に並行して出てきたのがシックハウスの問題でした。当時の日本では、室内空気質に関する研究は「最近のもの」と思われていたけれど、僕はすでにデンマーク時代に知見があったので、原因物質の一つであるホルムアルデヒドについても把握していたんです。それで、こちらは省庁連携の委員会に加わり、規制のガイドラインや対策などについて提言してきました。前述のプロジェクトでもそうですが、こうした研究成果は論文にするだけでなく本に〝残す〞ことが大切だと、プロジェクトで一緒だった松村秀一先生が教えてくれました。

 もう一つ、今はなくなってしまったけれど、松下情報通信システムセンターの床吹き出し空調の計画に携わったのも印象深い仕事です。このビルは日建設計との共同研究で、大規模な床吹き出し空調を日本で行った第1号のオフィスビルです。床吹き出し空調はロイズ・オブ・ロンドンや香港上海銀行が採用したことで国内外で大きな話題になり、日本でもやってみようと。

 ところが、建築設備の井上宇市先生から「足下から冷風を吹くなど、時代に逆行するような方法で大丈夫なのか」と指摘され、話がややこしくなった。それで、居住者が不快にならないか実験を行って確かめることにしたのですが、結果はダメ。それからはメーカーさんと試行錯誤を重ね、吹き出し口の角度を削り立てて調整し、「うまくいく」ところまで持っていったのです。

 建築はこういうフィードバックを得られるのが面白く、実験結果が実際の建物に応用される楽しみも味わいました。この研究成果については、ASHRAE(アメリカ暖房冷凍空調学会)の空調ガイドラインでも大きく取り上げられ、長年経った今も多く引用されているんですよ。

  その後、田辺はカリフォルニア大学バークレー校などでの在外研究員も経験し、99年、早稲田大学に戻る。続けてきた快適性と省エネルギーのバランス研究は、環境エンジニアリングの高まりとともに累加。2010年代に入ってからは東京都環境審議会やZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)のロードマップ委員会で長を務め、政策にも携わってきた。 

 一貫して主張してきたのは、快適性と省エネの両立です。卑近な例で話をすると、クールビズ。始まった頃は「エアコンの設定は28度」と提示されましたが、僕はずっと反対してきたんです。軽装にしての省エネはいいけれど、室温を画一的に28度にして我慢するのは違うと。快適に活動できなければ、仕事の生産性も質も落ちてしまいます。

 例えば、1年かけて行った100人規模のコールセンターでの調査では、室温が快適温度から1度上がるごとに仕事の生産性が2%落ちることがわかりました。過去の研究からも、オフィスの快適性と生産性には重要な関係があることは明らかです。という僕の主張は、当時の関係者からは「反・省エネだ」と怒られましたが、ロジックや実態に合っていないのなら異を唱える。ここは僕が燃える点で(笑)、本来の役割だとも思っています。今では、環境省も「28度以下」とか「無理のない範囲」と表現を変えています。

 ZEBについても同じで、省エネのベースが我慢であってはいけない。省エネビルは暗い・暑い・寒いなどといったイメージがありますが、そうではなく、ムダなエネルギーを使わない、働きやすい快適なビル。ZEBの定義には室内環境を担保するという内容が含まれています。そういった定義に立ち、普及を促進するために「計算できる方法」やZEBランクの指標づくりに取り組んできました。

 定義やロードマップを明確にすると、普及が進むんですよ。役所の大きな仕事はそういうこと。単に規制をするとか、補助金を出すということではなく、今後あるべき姿を明確に出すことで建築業界や産業界とともに動いていく。それが使命なのだと思いますね。

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PROFILE

田辺 新一

田辺 新一
Shinichi Tanabe

1958年8月12日 福岡県北九州市生まれ
1982年3月 早稲田大学理工学部建築学科卒業
1984年3月 同大学院博士前期課程修了
1984年11月 デンマーク工科大学暖房空調研究所
1986年4月 早稲田大学理工学部・助手
1988年12月 お茶の水女子大学家政学部専任講師
1992年4月 カリフォルニア大学バークレー校環境計画研究所
10月 お茶の水女子大学生活科学部助教授
1997年2月 デンマーク工科大学エネルギー研究所、ローレンスバークレー国立研究所客員研究員
1999年4月 早稲田大学理工学部建築学科助教授
2001年4月 早稲田大学理工学部建築学科教授
2007年4月 改組により、早稲田大学理工学術院 創造理工学部建築学科教授

主な受賞
米国暖房冷凍空調学会(ASHRAE)R.G.Nevins賞(1989年)、
日本建築学会賞(論文)(2002年)、空気調和・衛生工学会賞
(1995年・2007年・09年・13年・14年・22年・23年・24年)、
日本環境感染学会賞( 2 0 1 2 年)、室内環境アカデミー
Pettenkofer賞(2016年)、文部科学大臣表彰科学技術賞受賞
(研究部門)(2020年)、令和2年度産業標準化事業表彰経済
産業大臣表彰(2020年)
2018年5月 空気調和・衛生工学会会長(~2020年5月)
2021年5月 日本建築学会会長(~2023年5月)
2022年12月 早稲田大学
スマート社会技術融合研究機構機構長

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