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Architect's magazine

小説や音楽、美術などの違う分野にも視野を広げてみる。想像力が遠く飛べば、アイデアが出るし冒険もできるから

小説や音楽、美術などの違う分野にも視野を広げてみる。想像力が遠く飛べば、アイデアが出るし冒険もできるから

北川原 温

個性的な発想と、独創的なデザインで名の立つ北川原温(きたがわら・あつし)。公共・民間問わず、また建築の設計にとどまらず、都市設計やランドスケープデザイン、インテリアデザイン、さらには舞台美術なども手がける北川原の表現領域は、実に幅広い。そして、それら作品の一つ一つには、いつも違う表情がある。目に映る建築物そのものより、「そこに込めた〝意味〞が重要」だと考え、素材やかたち、既存の建築スタイルにまったく執着しないからだ。彼を励起させてきたのは、ずっと傍らにある詩や音楽、現代美術である。建築という枠を超えた創作活動を続ける北川原には、「芸術家」という呼称のほうが似つかわしい。

没頭した詩や現代美術。砂漠で経験した大自然。それらすべてを糧に

 もともと理系コースだった北川原は、バイクの一件で思わぬ進路変更となったが、晴れて一発合格。上京し、未知の環境に期待を寄せ、東京藝大に通い始めた……が、数カ月も経つと「飽きてしまった」そうだ。北川原が次にのめり込んだのは、古書店巡り。書物で出会った詩人や美術家に傾倒し、建築からはしばらく遠のくことになる。

 建築とは何かなんて、考えたことがなかったから、「よほど変わったことを学ぶのだろう」「何かあるに違いない」と、勝手に期待しすぎていた。ところが、建築というのは柱があって、梁があってと、勉強があまりにまっとうで拍子抜けしたんですよ。その基礎の重要さは、あとになってわかるのですが、この頃の僕にはつまらなく思えて、まあ不真面目な学生でした。

 それでも、僕にとって存在の大きな先生がいます。当時の建築界の重鎮、吉村順三先生ですが、ある時の授業で、手にした木材のかけらを指して「この中には、森があるんだよ」とおっしゃった。聞いた時は、意味が全然わからなかったけれど、ずっと記憶に残っていました。本当の意味がわかったのは、ここ10年くらいかな。木造建築をやるようになり、自然や生態系の勉強をしたことで、あの言葉は「森の生態、ひいては地球全体を考えて建築をやれ」という意味だったんだなと。今思えば、大きな教えを受けていたのです。

東京は千駄ヶ谷の閑静な街並みに建つ、北川原温建築都市研究所。1・2階がオフィスとアトリエ、3階が北川原氏の自宅スペースとなっている。

大学にはほとんど行かず、毎日のように通っていたのは神田の古本屋街。あの空気感が心地よくてね。特に海外の情報に触れていると、様々な興味が喚起される。本屋さんは、僕にとって未知の世界に行くための国際空港みたいなもの。なかでも衝撃を受けたのが、フランスの詩人、ロートレアモン伯爵の『マルドロールの歌』。エロチックな記述も反社会的な記述もありで、過激な内容なのですが、とりわけ「解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい」の一節は、新しい世界に気づく大きなきっかけとなった。ものの見方が変わりましたね。

それからヌーヴォー・ロマンにのめり込み、加えて、現代美術へと興味を移すようになっていきました。現代美術のあり方を世界に示したマルセル・デュシャンとか。「ピカソは目に訴える芸術。デュシャンは脳に訴える芸術」とオクタビオ・パスが評したように、観る者が考えなければならない〝意味の絵画〞を描くデュシャンもまた、僕に大きな影響をもたらした美術家の一人です。

 折悪しく、北川原が大学を卒業する頃は、オイルショックで就職口がほとんどなかった。ひとまず大学院に進んだ北川原だったが、思いがけず、この時代に貴重な経験を得ることとなった。丹下健三氏の事務所のアルバイトとして、サウジアラビアの都市計画調査に参加。行き来を繰り返しながら都合1年半、院生生活の大半はこの仕事に費やしたことになる。

先輩の芦原太郎さんから「砂漠とか好き?」と声をかけられまして。僕はてっきり鳥取砂丘あたりかと思っていたら(笑)、「本当の砂漠だよ。サウジアラビアなんか行ったことがないだろう」と。さっそく丹下先生の面接を受け、大学院に入った年の12月には出発していました。アルバイトの学生部隊は3人でしたが、社会学や都市工学、農業などの専門家たちと共に、ジープでいろんな集落を駆けめぐる仕事は、本当に面白かったですねぇ。

危険手当が付いたぐらいだから、もちろん危ない場面にも遭遇しました。砂漠にはワジと呼ばれる涸れ河川があって、幅が数㎞に及ぶのですが、雨季になると、突然、津波のように泥水があふれだす。大型トラックをも飲み込む勢いで。また、驚いたことに、砂漠でも雹が降るんです。でっかい雹はアッという間に地面を埋めつくし、泥づくりの住居群をどんどん壊していく。話せばキリがないのですが、そういう日本のスケールでは考えられないような自然に触れられたことは、すごく貴重な体験となりました。

行ったり来たりの生活を1年半ほど続けたので、修士論文もサウジでの調査をもとにして書き、確か現地から送ったような……。本来ならば、それじゃあ修了はかなわないと思うのですが、恩師の藤木忠善先生が大目に見てくださったんでしょう、何とか無事に出してもらえました。

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個性的な発想による作品群が着目され、早々に表舞台へ

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PROFILE

北川原 温

北川原 温

1951年10月31日 長野県生まれ
1974年3月   東京藝術大学美術学部建築科卒業
1977年3月   同大学大学院修士課程修了
1982年6月   株式会社北川原温建築都市研究所設立
2005年4月  東京藝術大学美術学部建築科教授
2007年6月   ATSUSHI KITAGAWARA ARCHITECTS(ベルリン)開設

主な受賞歴

●日本建築家協会新人賞(1991年)
●ベッシー賞(2000年/舞台美術)
●日本建築学会賞作品賞(2000年)
●日本建築学会賞技術賞(2002年)
●BCS賞(2002年/2011年)
●ケネス・ブラウン環太平洋建築文化賞大賞(2006年~2007年)
●村野藤吾賞(2008年)
●アメリカ建築家協会JAPANデザイン賞(2008年)
●第66回日本芸術院賞受賞(2010年)
ほか多数

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