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Architect's magazine

小説や音楽、美術などの違う分野にも視野を広げてみる。想像力が遠く飛べば、アイデアが出るし冒険もできるから

小説や音楽、美術などの違う分野にも視野を広げてみる。想像力が遠く飛べば、アイデアが出るし冒険もできるから

北川原 温

個性的な発想と、独創的なデザインで名の立つ北川原温(きたがわら・あつし)。公共・民間問わず、また建築の設計にとどまらず、都市設計やランドスケープデザイン、インテリアデザイン、さらには舞台美術なども手がける北川原の表現領域は、実に幅広い。そして、それら作品の一つ一つには、いつも違う表情がある。目に映る建築物そのものより、「そこに込めた〝意味〞が重要」だと考え、素材やかたち、既存の建築スタイルにまったく執着しないからだ。彼を励起させてきたのは、ずっと傍らにある詩や音楽、現代美術である。建築という枠を超えた創作活動を続ける北川原には、「芸術家」という呼称のほうが似つかわしい。

個性的な発想による作品群が着目され、早々に表舞台へ

 そのまま丹下事務所に就職する道もあったが、「サウジ行きはさすがに疲れた」北川原は、当面ブラブラすることにした。「当時の丹下事務所は中近東の仕事を山ほど抱えていて、また飛ばされそうだったから」。1980年、北川原温建築都市研究所( 82年、株式会社に改組)を創設。スタートは、27歳の時に手がけた個人住宅だった。

北川原文中画像

東京藝術大学美術学部建築学科へ進学。古美術研修のため同期の仲間と京都と奈良へ。写真はほぼ中央の、長髪、サングラスが北川原氏

 聞こえがいいように(笑)、経歴的には設計修業の期間としているんですけど、昼は読書、夜は六本木に遊びに行くという毎日で、しばらく何もしていなかったんですよ。サウジのアルバイト代がすごくよかったんで、その蓄えで食いつなげたし。

そんな僕に声をかけてくださったのが、丹下事務所でお世話になった上司の森岡さんです。「お前、ヒマにしているんだったら、俺の家の設計をしてくれないか」。責任重大だと思いつつも、好きにやらせてもらった最初の仕事です。柱のてっぺんが構造に付いていないとか、手すりも途中で切れているとか、ちょっと怖い家(笑)。僕が好きなアンドレ・ブルトンの代表作に、『ナジャ』というシュルレアリスムの小説があるのですが、それにちなんで「ナジャの家」と名付けました。それが、僕の処女作。『新建築』とか、いろんな雑誌に取り上げられたことで、ほかからも声がかかり、その後何軒か個人住宅を手がけました。

初期の作品で存在が大きいのは、やはり「ライズ」ですね。初めて臨んだ商業施設で、映画館と店舗の複合施設。十分な完成度だとは思っていないけれど、建築のありようとして、詩や現代美術がベースになっている作品です。東京という都市はまるで無秩序に見えるんだけど、でも、破綻なきカオスっていう不思議な状態。そのバラバラな状態、現代都市が持つ様々なイメージを凝縮したのがライズ。今、自分が生きている時代の周りにあるものを集めて、組み合わせ、新たな意味作用を起こす||これは、先述した美術家、デュシャンが古くにやっていた手法で、明らかに影響を受けています。「建築とはどうあるべきか」を考えるきっかけになったという意味では原点であり、しばらくこの作風が続きました。

 その独創的なデザインで着目された「ライズ」を皮切りに、北川原は精力的に作品を生み出していく。集合住宅「メトロサ」では、日本建築家協会新人賞を受賞。90年代に入ってからは、異業種交流型の工業団地「アリア」、福島県産業交流館「ビッグパレットふくしま」など、都市計画や規模の大きなプロジェクトも手がけるようになり、多数の建築賞受賞と共に、北川原の名は広く知られるところとなった。

 30歳を過ぎてから知ったステファヌ・マラルメという詩人がいるのですが、また、しばらく没頭しまして(笑)。彼の詩って実に空間的で、言葉がマスタープランのように散りばめられている。文字と文字の間に何かがある感じで、次第に構図が見えてくるんですよ。

フランスの哲学者、モーリス・ブランショがいいことを書いていましてね、「マラルメの遺作『骰子一擲』は、分裂と統合を同時に実現している建築である」と。ちゃんと建築という言葉を使っているんです。そうか!って。

実は、そのマラルメとデュシャンをテーマに設計したプロジェクトが、工業団地の「アリア」なんです。敷地が7 ha、延べ床面積2万4000㎡くらいのものを10年間かけてやったんですが、マラルメに始まってデュシャンに至るというプロセスでした。まだ、ちゃんと咀嚼できていない頃ではあったけれど、それまで詩や現代美術ばかりに興味を持っていた僕が、建築との接点を見いだすことができた仕事です。ずいぶん遠回りをしましたが、40代半ばにして、やっと「建築をしていてよかった」と思えたのです。

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PROFILE

北川原 温

北川原 温

1951年10月31日 長野県生まれ
1974年3月   東京藝術大学美術学部建築科卒業
1977年3月   同大学大学院修士課程修了
1982年6月   株式会社北川原温建築都市研究所設立
2005年4月  東京藝術大学美術学部建築科教授
2007年6月   ATSUSHI KITAGAWARA ARCHITECTS(ベルリン)開設

主な受賞歴

●日本建築家協会新人賞(1991年)
●ベッシー賞(2000年/舞台美術)
●日本建築学会賞作品賞(2000年)
●日本建築学会賞技術賞(2002年)
●BCS賞(2002年/2011年)
●ケネス・ブラウン環太平洋建築文化賞大賞(2006年~2007年)
●村野藤吾賞(2008年)
●アメリカ建築家協会JAPANデザイン賞(2008年)
●第66回日本芸術院賞受賞(2010年)
ほか多数

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