知識、技術、経験、―― そして“段取り力”それらの総合力を、常に追求し続けてきた
株式会社大林組東千葉メディカルセンター工事事務所所長 田渕成明
自立式電波塔として“世界最高”の高さを誇る「東京スカイツリー」。日本の誇る建築・建設技術者を紹介する本連載1回目にご登場願ったのは、東京の新たな“シンボル”の建設を作業所長として支えた大林組の田渕成明氏である。同社入社以来、一貫して施工管理に携わり、大型物件を中心に二十数件の実績を重ねた田渕氏の人生と、プロフェッショナルの心意気を聞いた。
“大突貫”を覚悟した東京スカイツリー
都立東京武道館、品川インターシティ、サピアタワーなど、次々に大型の物件にかかわり、次第に“責任ある立場”として現場を仕切るようになっていた田渕氏だったが、新タワー建設工事の作業所長を拝命するとは、夢にも思わなかったという。「東京スカイツリーを大林組が受注したと新聞で知って、誰が所長を?と想像していましたが、私に話がきた時にはびっくりしました。正直、自分には荷が重いという気持ちと、技術屋としてチャレンジしてみたいという思いの両方がありました。まあ会社員として辞令にノーと言えなかったこともあります(笑)。そして最後は、こんなチャンスは二度とない、と自分を奮い立たせたのです」
とはいえ、それまでにかかわった超高層ビルでも、180mが最高だった。それでもものすごい風圧なのに、タワーはその3・5倍もの高さ」である。加えて、立地はすぐ脇を鉄道が走り、住宅や商店が密集する墨田区の下町。三角形に立ち上がり、徐々に丸みを帯びていく形状も特異なものだ。当然ながら、そうした難題をこなしつつ、約束の期日までに完成させなくてはならない――。「これは“大突貫”になる」と、田渕氏は気を引き締めた。
技術の粋を結集した東京スカイツリーの建設だったが、実は「新たに開発した工法などはない」のだという。634mという未知の高さは、すべて同社のそれまでの蓄積を応用し、組み上げられたものだったのである。
例えばリフトアップ工法。放送用アンテナを取り付けるための、タワー最上部の細い塔体をゲイン塔と呼ぶ。ゲイン棟は、中心部の空洞を利用して、地上で組み立てを行いワイヤーで上部に引き上げる。これなら、タワー本体の建設と同時並行で作業ができるため、大幅な工期短縮が可能。地上500mを超える危険な高さで細かな作業をしなくて済むというメリットもあった。
- 原価や工程、品質管理とともに、安全管理も施工管理者の重要な役割だ
原価や工程、品質管理とともに、安全管理も施工管理者の重要な役割だ。東京スカイツリーの建設現場では、血圧計とともにアルコール測定器を設置し、毎日作業員全員に測定を義務づけるという、徹底した健康管理も実践。「数値を職長に報告しろではなく、あくまでも自己管理。何百mもの高所で作業するのだから体調は常に万全に、という自覚を持ってもらうためです」
そうした意識づけもあって、およそ3年半の工事期間中、「救急車を呼ぶような大きな事故は一度もなかった」。ただし、大きなアクシデントには見舞われた。先ほどのゲイン塔が完成し、リフトアップも残り9mに迫っていたタイミングで、3.11東日本大震災が発生。震度5強の激しい揺れの最中、田渕氏は第1展望台の上、地上360m付近にいた。
「例え建設中であっても、鉄塔自体が地震で倒れるようなことはあり得ません。一番恐れたのは、作業員が振り落とされないか、タワークレーンで吊った荷が大きく振れて、彼らが巻き込まれたりしないか、ということでした」
その言葉どおり、タワーはびくともしなかった。その姿を見て、改めてニッポンの技術力の高さに感銘を受けた人は、少なくないはずだ。「震災以降、“日本の元気”のシンボル的存在になったと思います。その意味でも、無事に完成した時には『ほっとした』のひと言でしたね。ちなみに、開業してからは“1年目検査”に行っただけ。まだお客として遊びに行ったことはないんです(笑)」
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- 図面から3次元の建物が浮かび上がる。それが理想
- 田渕 成明
Shigeaki Tabuchi 1954年5月7日 大阪府能勢町生まれ 1973年3月 大阪市立都島工業高等学校建築科卒業 4月 株式会社大林組入社 1976年12月 2級建築士取得 1982年2月 1級建築士取得 1989年3月 1級建築 施工管理技士取得 2004年1月 監理技術者取得
株式会社大林組 創業 1892年1月 設立 1936年12月 代表者 白石 達 資本金 577億5200万円 本社所在地 東京都港区港南2-15-2