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21世紀の建築はどうあるべきか。地球全体に、どう寄与していくか。僕らの世代は、その道筋をつけていく責務があると思う

21世紀の建築はどうあるべきか。地球全体に、どう寄与していくか。僕らの世代は、その道筋をつけていく責務があると思う

仙田 満

26歳で独立した時、仙田満(せんだ・みつる)は自分の名を冠した事務所ではなく、「環境デザイン研究所」という屋号で旗揚げをした。建築だけでなく都市、造園、インテリア、展示、遊具、プロダクトデザインなど、広い領域で設計に携わっていく――そう決めていたからだ。以来50年近く、仙田は“環境デザイナー”として、才を発揮した数多の作品を発表、その世界を切り開いてきた。なかでも、成育環境のデザインという分野では第一人者である。子どもが元気に育つ環境づくりをライフワークとしながら、日本建築学会や日本建築家協会の会長職も務め、業界を俯瞰した社会活動にも尽力。「今の社会システムを変えなければ、日本の環境デザインは育たない」。穏やかな風情ながらも、仙田の胸には次代への熱き思いが溢れている。

指導者、公職者として。社会活動にも尽力する日々

 この時、トヨタ財団の研究助成を受けたのは20団体。うち、仙田の事務所は唯一の民間研究団体で、その独創的な研究は注目された。そして母校・東工大の教授からは「これを学位論文にしなさい」と推された。それから、事務所の仕事を抱えながら学位論文に臨み、82年、仙田は東工大より工学博士を授与された。

 商業施設の環境デザインを手がけるようになり、仕事領域も広がってけっこう忙しかった。それに、僕は大学院には行っていないので、論文の書き方なんてよくわからないから、院卒の所員に「これでいいかな」と聞いたりしながらね(笑)。大来佐武郎さんという著名なエコノミストが、「この研究は面白い」と引っ張ってくれたのが大きな助けになりました。自己流で何とか学位論文を仕上げたのは42歳の時。研究を始めて10年近くかかりました。

それまで日大で10年、早大で3年、非常勤講師として働いてきましたが、常勤として声がかかるようになり、琉球大学や名古屋工業大学などでも教えてきました。そして巡って92年、東工大の建築学科に戻ったというわけです。それなりに時間は取られますし、琉球大学の頃は、3年間毎週通いで、給料の大半は飛行機代に消えていました(笑)。僕は人がいいのか、頼まれれば何でも引き受けちゃう。でも、それが「考える」きっかけになるし、研究テーマを決めて学生たちと取り組むのが、とても好きなんですよ。僕自身、大学で教えることを通じて、子どもの領域だけでなく、環境デザインという研究分野を様々広げることができたのは、とてもよかったと思っています。

僕は、研究と設計は同じだと考えていて、仮説を持ってそれを証明していくという両輪の関係なのです。学生や若い建築家にいつも言うのは、「研究に基づくデザイン」を大切にしてほしいということ。その両方の分野に挑戦してほしいと願っています。

 他方、仙田は様々な公職にも就くようになった。2001年、日本建築学会会長に就任し、06年からは日本建築家協会の会長も務めた。さらに、学際的な研究を行う「こども環境学会」や、日本学術会議の活動を通じて政府に対する提言も積極的に行うなど、仙田は広く、社会システムの劣化、歪みに危機感を抱き、戦い続けている。

 ずっと環境デザインをやってきて考え至ったのは、そこを取り巻く仕組みや法律を変えないと、日本の環境デザインは育たない、美しいまちはつくられないということ。これは、日本の社会システムの問題です。

教育ひとつを取っても、変革すべき側面は多々あるわけです。例えば、日本の大学では学位を取るという“通過点”が必要で、アメリカのように専門家や実務家が積極的に教えていくシステムになっていないから、プロフェッショナルな学生を世に送り出すことが難しくなっているのです。

また、知的生産行為を阻む設計入札の問題。会計法に基づいた、公共工事の設計者をまずはお金で選ばなければならないという原則が、実に明治時代から続いている。それは不幸です。国の公共建設はほとんどプロポーザルになっていますが、自治体はまだまだ入札が多いのが現実です。東日本大震災の復興にしても、時間がない、人がいないということで、一番簡単な設計入札が蔓延しつつある。現地の人々や、注目している世界に向けて優れた復興を目指すべきなのに……。

次の世代に引き継いでいく時に、大きな障壁となる仕組みや法律などを変えていくためには、協会や学会などで上に立たないと発言力がない。そんな思いもあって会長職を引き受け、様々な社会活動を続けてきました。たまに「仙田さんは会長が好きですね」なんて言われて、がっかりするんだけど(笑)、僕らの世代は、21世紀の建築はどうあるべきか、地球全体にどう寄与していくか、その道筋をつけていく責務があると思うんですよ。

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変わらぬ信念のもと、“21世紀の建築”を問い続けていく

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PROFILE

仙田 満

仙田 満
Misturu Senda
1941年12月8日横浜市保土ケ谷区生まれ
1964年3月東京工業大学理工学部建築学科卒業
             4月菊竹清訓建築設計事務所入所
1968年4月環境デザイン研究所を設立し、

代表に就任

2001年6月日本建築学会会長(~2003年)
2004年4月こども環境学会会長(~2010年)
2005年4月東京工業大学名誉教授
            10月日本学術会議会員(~2011年)
2006年6月日本建築家協会会長(~2008年)
2010年4月公益社団法人こども環境学会代表理事
主な受賞歴
  • 毎日デザイン賞(1978年)
  • BCS賞(1987年、2011年)
  • BCS賞(1987年、2011年)
  • 日本造園学会賞(1996年)
  • 日本建築学会賞(1997年)
  • IOC/IAKS賞 (1997年、2001年、2005年、2009年、2011年)
  • アルカシア建築賞ゴールドメダル(2010年)
  • 日本建築家協会賞(2010年、2011年)
  • 村野藤吾賞(2011年)
  • 日本建築学会大賞(2013年)

ほか多数

講師・教授歴
  • 日本大学芸術学部講師
  • 早稲田大学理工学部講師
  • 琉球大学工学部建設工学科教授
  • 名古屋工業大学社会開発工学科教授
  • 東京工業大学工学部建築学科・ 大学院理工学研究科建築学専攻教授
  • 慶應義塾大学大学院特別研究教授
  • 愛知産業大学大学院教授、放送大学教授

などを歴任

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