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Architect's magazine

建築は都市空間をつくる一つの要素。周辺を含めた環境づくりに目を向け、“全体”をよくしていく――。そういうパブリックデザインの視点が今後ますます重要になる

建築は都市空間をつくる一つの要素。周辺を含めた環境づくりに目を向け、“全体”をよくしていく――。そういうパブリックデザインの視点が今後ますます重要になる

亀井忠夫

言わずと知れた日本最大の設計事務所・日建設計を統括する亀井忠夫は、今も、一人のデザインアーキテクトとして現場に立つ。グループ全体で見れば、職員数約2500名。世界第2位の規模となったこの大所帯を牽引する社長業と建築家業、傍目には切り替えが難しいように映るが、亀井はそれらを両輪として重んじ、泰然とこなしている。もとより、建築だけでなく、社会環境デザインに強い志向を持つ亀井にとって、〝総合力〞ある日建設計は水が合う組織だったのだろう、その実力をいかんなく発揮してきた。「クイーンズスクエア横浜」「さいたまスーパーアリーナ」、そして近年の「東京スカイツリー」などといった代表作に見られるように、どの時代においても亀井の眼差しは、「より美しい環境デザイン」に熱く向けられている。

アメリカ留学を経て日建設計へ。

活躍の場を広げていく進学した早稲田の大学院はいったん休学とし、1977年、亀井は初めて外国に出た。奨学金を受けての留学で、ペンシルバニア大学芸術学部大学院に入学。修士課程を修了したのち、「せっかくだから実践を積もう」と、就職活動し、ニューヨークにある組織設計事務所・HOKに席を得る。このチャレンジは、大きな糧となった。

向こうの大学院で違いを感じたのは、まず、人数の少なさ。1年半で修士を取れるコースを選んだのですが、僕の時で15人くらい。早稲田に比べると、指導教授とかなり密な時間を共有することができた。加えて、出した課題に対する講評会では、フィラデルフィアやニューヨークの設計事務所で活躍する建築家も批評を加えてくれるので、これはいい勉強になりました。あちらでは、アウトプットより、プロセスや考え方が評価されるという評価軸の違いを知ったことも新鮮でした。

そして、多様な価値観に触れられたことも大きかったですね。大学院だから、周囲には働いた経験のある人も多く、ヨーロッパやアジアなど、いろんな国の人たちが集まっていたから、否が応でも多様性が身につく。人をステレオタイプで見ない、物事を先入観で判断しないという姿勢は、ここで培われたような気がします。

当時のアメリカは景気のよくない頃で、就職活動には苦労しました。東海岸に的を絞って、有名な事務所へ片っ端から経歴書を送ったのですが、面接までいったのは3社くらいでしょうか。そのなか、興味を持っていた組織設計事務所であるHOKに決まったのは幸いでした。もっとも、大学院を出てすぐの僕には実施設計の経験がないので、建築案を考える若手チームに入ってのスタートです。ニューヨーク郊外に建てるオフィスや、ショッピングモールのファサードなどを手伝うなか、構想段階で周辺環境にも気を配る建築姿勢というものを、肌で感じることができました。長い期間ではなかったけれど、留学やアメリカでの仕事は本当に貴重な経験になりましたね。

学び多く、居心地がよかっただけに、帰国については悩みどころだったが、実務をきちんと固めるため、亀井は復学する。穂積研究室でかかわったプロジェクトを通じて実施設計を学び、その後、次の舞台として選んだのが日建設計である。恣意的な建築ではなく、〝チームの知恵〞が表現されるような建築。亀井の志向は、そこにあった。

アトリエ的な師弟関係は自分には合わないので、組織設計事務所で働きたいというのは明確でした。日建設計の仕事には僕の好きなタイプが多くて、なかでも、当時すでに完成していた「ポーラ五反田ビル」はすごいなぁと。組織としてこういう最先端の設計ができることに、魅力を感じたのです。

図面から何から全部を任された最初の仕事は、帝国石油(当時)の技術研究所。これが、僕のいわゆる処女作です。80年代後半は、筑波を筆頭とする研究所ブームがあったので、けっこうな数の研究所を担当しましたし、ほかにも「新潟県庁舎」や「東京ドーム」、それから中国の「大連テレビタワー」と、携わった案件は本当に様々。入社前から、いろんなビルディングタイプの設計にかかわりたいと思っていた僕には、十分な環境だったといえるでしょうね。

この時代に、強く記憶に残っている仕事は「JTビル」です。JT民営化10年を期して、虎の門の旧本社跡地に新しい本社ビルを建てる計画で、まだ30代だった僕にとっては、巡ってきた大きなチャンスでした。「一般の人が入りやすいフレンドリーなビルを」というクライアントの要望に応えて、この界隈にパブリックスペースを提供することを設計テーマにしました。1階にプラザや回遊式のアトリウムを設けたり、アートを点在させたり。

ビルのなかにパブリックスペースを存在させるというのは、当時としては珍しいつくりだったんです。JT側のリクエストと、こちらからの提案がきれいに合致して実現できた、とても意義のある仕事になりました。建築は都市空間をつくる一つの要素に過ぎず、いろんな公共空間を含めた環境づくりに目を向けて〝全体〞をよくしていく―― 今、建築をするうえで僕が大切にしている姿勢の端緒となった仕事でもあります。

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現場を重んじるトップマネジメントで、組織を活性化

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PROFILE


1955年1月 兵庫県西宮市生まれ
1977年3月 早稲田大学理工学部建築学科卒業
1978年7月 ペンシルバニア大学芸術学部大学院
建築学科修了
HOKニューヨーク事務所勤務(~79年)
1981年3月 早稲田大学大学院理工学研究科
建設工学専攻修了
4月 株式会社日建設計入社
1997年4月 設計室長
早稲田大学建築学科非常勤講師
(~00年3月)
2000年4月 東京電機大学建築学科非常勤講師
(~03年3月)
2006年1月 執行役員 設計部門代表
2012年1月 常務執行役員 設計担当
2013年3月 取締役常務執行役員 設計部門統括
2015年1月 代表取締役 社長 執行役員

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