日本には、構造家と建築家がコラボレーションする土壌がある。ここをもっと大事に育てていけば、「 建築デザインの、もう一つの本質的な意味」を世界に発信できると思う
斎藤公男
斎藤公男は、多彩な顔を持つ。手がけてきた作品はいずれも進取の気性に富み、研究者、そして教育者としても建築界の第一線を走り続けている。
1978年、自身の出世作ともなった「ファラデーホール」で考案した〝日本発〞の張弦梁構造、これを昇華させたハイブリッド構造は、今や広く世界に認知され息づいている。また斎藤は、アーキテクチャーとエンジニアリングデザインの融合概念である「アーキニアリング・デザイン」の提唱者でもある。
常に業界に波を起こし、数多くの有能な人材を輩出してきた功績は大きい。大切にしてきたテーマ「研究・教育・設計の融合」は、斎藤の生き方、人生そのものを象徴している。
構造デザインの原点に触れ、早くから重ねた実践が財産に
日大の大学院に進学した斎藤は、坪井研究室に所属。当時、西千葉から六本木へ移った東京大学生産技術研究所へ通い続けた。この頃の坪井研は、建築家との協同プロジェクトも多く動いており、なかでも丹下氏とのコラボレーションは絶頂期にあった。ここで国立代々木競技場のプロジェクトに参加した斎藤は、構造家と建築家による〝本質的な協働〞を目にする。
坪井、丹下という二人の巨匠のコラボレーション。基本構想の段階から構造家と建築家が対等に協働するというスタイルに強く影響を受けました。互いの領域を超え、何もないところから共にモノをつくり上げていく面白さ。それに触れたことが、構造デザインの道に進んだ僕の原点で、宝物にもなっています。
坪井先生の実践からは、研究と設計は一体でなければ意味がないことも教わりました。そして、フラーの研究を通じて感銘を受けたこともあります。彼が世に出したいろんな革新的なプロジェクトは、実は学生との協働で生まれているんですよ。この両者の存在は僕の源流にあり、院生時代から「研究・教育・設計」、この3つは融合させなければならないと考えていました。
加えて、昔から同級生たちに勉強を教えたり、あれこれ面倒を見たりするのが好きで、教育への憧れもあったのらが発展しながら、今回のオリンピックにまでつながっているのですから、何ともうれしく、感慨深い話です。作品を振り返るとコンペが多いですし、組んだ建築家や設計事務所も実に様々。メーカー、ゼネコンなどもあらゆるところと関係し、その都度、皆で一つのテーブルを囲みながらやってきた。もちろん学生とも。かつてフラーがそうであったように、僕も学生と共に革新的なデザインを建築界に送り出したいと考えてきました。何より〝生の教育〞になるでしょう。実験や研究で得た結果を実際のプロジェクトに導入し、循環を図る場をつくってこられたのは本当によかったと思う。業績部門で建築学会賞を受賞した86年は助教授時代で、48歳の時でした。
「博士号を持たない受賞者なんてお前くらいだ」と、坪井先生に言われたものです(笑)。ちなみに、先輩に半ば背中を蹴飛ばされて博士論文を書き上げたのはその2年後。模索を続けながら仕事に一生懸命で、学位論文を書くどころじゃなかった。でも、助教授時代が長かったのもまた、ラッキーだったんですよ。教授になるとけっこう縛りがあるけれど、僕はこの間に国際会議に出向いたり、学外とのつながりができたわけですから。とにかく楽しかったし、環境的にはありがたかった。振り返れば僕はラッキーの連続で、どの駒を一つ外しても今日は成り立っていなかったと思いますね。
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- 斎藤公男
1938.5.29 群馬県前橋市生まれ
1961.3 日本大学理工学部建築学科卒業
1963.3 日本大学大学院理工学研究科
博士前期課程建築学専攻修了
1973.4 日本大学理工学部建築学科助教授
1991.4 日本大学理工学部建築学科教授
2007.6 第50代 日本建築学会会長
2008.4 日本大学名誉教授
- 主な受賞
日本建築学会賞/業績 (1986年)、
松井源吾賞( 1993年)、 Tsuboi Award( 1997年)、
Pioneer Award( 2002年)、
BCS賞( 1978年、1993年、2003,年、2004年)、
日本建築学会作品選奨(2003年)、
Aluprogetto Award 1st prize( 2006年)、
日本建築学会賞 /教育分野(2007年)、
IASS Torroja Medal( 2009年)、
日本建築学会大賞(2018年)ほか多数