どの場所にも存在しているポテンシャルを見つけ出す。それを建築でどう後押しするかを考えるのがとても楽しい
乾久美子
乾久美子が独立したのは2000年。以降、集合住宅「アパートメントI」を皮切りに、「日比谷花壇日比谷公園店」「みずのき美術館」、そして約8年にわたる取り組みとなった「延岡駅周辺整備プロジェクト」など、手がけてきた建築設計は幅広い。いずれも、いたずらに強い主張を持っておらず、その地でごく自然に佇んでいる点に持ち味がある。乾が大切にしているのは、常なるフラットな姿勢。「自分がつくりたいかたち」に固執せず、プロジェクト一つひとつに対して真摯に解を求め続けることだ。「その場所が持つポテンシャルを見つけるのが好き」という言葉に、乾らしさが象徴されている。
早くから得意だった絵画や工作の学びを生かして美術大学へ
幼い頃から絵や工作が好きで、手先も器用だった乾は、ずっと美術に接してきた。いずれは美大に行ってプロになる――そんな将来を思い描いていた。建築の道へ進路変更したのは高校2年の時だが、遡れば、その伏線ともいえるエピソードはある。小学生の頃には図面に興味を持ち、書き方を独学で学んだという話だ。
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両親が講読していた『週刊新潮』に「マイプライバシー」という連載があって、個人邸の竣工写真と小さな設計図が紹介されていたんです。子供心に惹かれて毎週見ているうちに、図面の意味が徐々にわかってきて、これは面白そうだと。ほかにも本屋さんでイラストの教科書を買って、二点透視図法などをマネしながら勉強していました。
そうした知識を用いて、家の建て替え案を考えたんです。私は姉との相部屋がずっと不満で、どうしても自分だけの部屋が欲しかったからです。巻尺で敷地を測り、方眼紙を使いながら階段もきちんと収めるなど、かなりリアルな図面を描いて親にプレゼンしたのですが……さすがに聞いてはもらえず。ならばせめてと、中学生になった時に物の配置を変えて物置を融通する案を出し、念願の個室を獲得したというオチです(笑)。
神戸市にある中高一貫の女子校、親和学園に進学し、6年間、美術部で絵を描き続けました。県展で金賞を取ったこともあるし、絵の勉強を本格的にやりたいと思っていたんです。でも、2年生の時にそれは無理だと挫折。同学年にすごくいい絵を描く子がいたからです。デッサンは崩れるけれど、彼女には本質を捉える力というか、つまりは秀でた才能があった。世の中に出ればもっとすごい人がいるだろうし、私が絵で食べていける世界じゃないなと。とはいえ、ずっと美大を目指して訓練してきたわけだし……と考えるなか、蘇ったのが建築だったのです。
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関西で美大といえば京都市立芸術大学。乾もここを目指し、予備校にも通いながら準備を続けてきたが、同大学には建築科がなかったことから進路変更、東京藝術大学を選択する。そして「全然考えていなかった東京」に単身上京し、大学生活をスタートさせた。
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強烈な個性や野心を持つ人がたくさんいて、刺激的な環境でしたね。クラブ活動やイベントでいろんな経験をしました。なかでも藝大っぽいなと思ったのは花見。上野公園で、ただ飲むなんてあり得ないと、私たちがやったのは本気の花見。赤い毛氈を敷いて、背景には富士山の絵を用意したり、音楽学部の人にはお琴や三味線を弾いてもらって和の世界をつくりあげたりと……。こんなふうに、何でも徹底的にやるノリがあって、完成度というものの意味を学んだような気がします。
当時の建築学科は吉村順三さんの影響がまだ強く残っていて、オーソドックスな価値観を学ぶという環境でした。ただ若い学生としては、もっと現代建築を知りたいという思いもあり、物足りなかったです。面白くなってきたのは3年生になってから。新しいタイプの先生方も登場し、概念的な次元で建築を考えることの面白さを知りました。いずれにしても、様々なタイプの課題をこなすことで理解が深まっていく、非常にいい教育プログラムのもとで育ったと思っています。
大学時代はバブル経済が弾ける前でしたから、ずっと街が壊れていく様を見続けてきました。過熱する地上げや再開発を背景に、いいなと思っていた場所は取り壊され、風景が激変していく。目につく装飾的な建築には感動できないし、このままで建築はいいのか、日本は大丈夫なのかと疑問を感じるようになっていきました。建築デザインの方向性が見えにくかった時代ですし、
この国で考えていても、まともな建築家になれないんじゃないかと。まずは、いったん日本の外に出てみようと思ったのは、そんな危機感からでした。
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- アメリカ留学で学び、憧れの事務所へ。建築家として踏み出す
- 乾久美子
教職
1969年 大阪市北区生まれ 1992年 東京藝術大学美術学部 建築学科卒業 1996年 イェール大学大学院
建築学部修士課程修了
青木淳建築計画事務所入所2000年 乾久美子建築設計事務所設立
- 教職
東京藝術大学美術学部建築科助手
(2000年~2001年)、東京藝術大学美術学部建築科准教授
(2011年~2016年)、横浜国立大学大学院都市イノベーション学府・研究院
建築都市デザインコース(Y-GSA)教授(2016年~現任)