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建築家として活動する以上、その建物、場所に長くかかわる覚悟を持ってほしい。流れる時間に対して責任を持つのも大切なこと

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篠原聡子

 プロフェッサー・アーキテクトとして長いキャリアを有する篠原聡子は、一貫して「住むこと」に携わってきた。設計活動はもちろん、国内外における集合住宅の調査・研究を重ねており、その見識はとても深い。代表作の一つ「SHAREyaraicho」は、新築シェアハウスの先駆けであり、住まうことに新しい選択肢を示した。
「住宅とは本来、社会的な空間を内包するもの」とし、常に意識しているのは社会との接点をデザインすることだ。
そして現在は、自身の母校である日本女子大学の学長として、次代の育成と、そのための環境づくりにも力を尽くす。何役もの重責を担いながらも、〝篠原のデザイン〞は常にチャレンジングだ。

実務家教員として、「設計」と「調査」を両輪に活動する

 篠原が日本女子大学の教員になったのは97年。同年、恩師である高橋氏が他界したことが契機だった。生前に同氏が挙げていた後任候補のなかに篠原の名があり、大学から声がかかったのである。「ある日突然、教壇に立つという人生最大のピンチがやってきた」と振り返りつつも、この機会によって篠原は、実務と並行して調査・研究の道を走り始めたのである。

 光栄なお話だと思ったけれど、私は非常勤講師の経験もなかったので、やらなきゃいけないことを考えると……憂鬱でした。実際、準備がすごく大変で。あの頃、高橋先生は「高齢者と住まい」にフォーカスされていて、その授業を引き継いだのですが、一般教養として全学に開かれた授業だったんですよ。誰にも〝わかりやすく〞と一生懸命準備したのに、初回は90分授業が30分で終了してしまった(笑)。後になってわかったんですけど、新しい話を詰め込みすぎちゃうと、相手には伝わらない。教え方、話し方にもトレーニングは必要だと思い知りました。

住まいについて調査・研究を始めたのは、やはり大学の教員になったからです。戦後初期の都市型大規模団地である赤羽台団地の調査は10年ほど続け、また、文化人類学やジェンダー・スタディーズの研究者とも連携してニュータウンの調査などにも取り組んできました。設計と調査が〝二股〞となって、それぞれ走ってきた感じですね。

アジアでのフィールドワークも重ねてきましたが、一番印象的だったのはタイのバンコクにあるディンデン団地。古いけれど、とてもモダンなハウジングです。1階のピロティがマーケットになっていたり、敷地内の各辻にはお社が建っていたり……これら人が集まる場所は、時の経過とともに自然とできたもので、つまりは居住者たちによってカスタマイズされているわけです。そこには、大胆な住みこなしがある。でも、様々に調査をしていると、どの建築にもそういうことが起きているわけではありません。もちろん居住者にもよりますが、わかったのは、住みこなしには建築も関係していること。建築のデフォルトとしての有り様は、その先の「何かが起きる・起きない」に大きく作用しているということです。多岐にわたるフィールドワークは、学生のみならず、私自身にも大きな気づきをもたらしてくれました。

 2012年に竣工した「SHAREyaraicho」には、篠原の知見がシンボリックに表れている。単身者の住まいに新しい選択肢を示し、シェアハウスにこれまでとは違う価値を提供した同作は、日本建築学会賞(作品)を受賞。新築シェアハウスの先駆けであり、篠原にとってはプログラムまで手がけた最初の作品でもある。

 先の話に通じますが、住む人や住みこなしをエンカレッジするような建築、空間づくりに臨んだ仕事です。プログラム自体をデザインしないと、今ひとつ何かが起こらないと考えていた頃だったので、建築と暮らしのデザインを重ねたという意味では、新しいチャレンジでした。シェアハウス自体はあったけれど、ほとんどはリノベーションでしたから、新築としてはたぶん、世の中的にも最初の建物だと思います。

人間関係と建築とのあり方は不可分なので、各個室を内包する大きな空間は外に対して閉じ過ぎないように、外部との境界を緩く設計しました。1階から3階までをすっぽりと包む巨大な半透明のテント膜もそうですし、各階に個人の部屋と共用部分を設けることで、住民同士が顔を合わせる機会が増えるよう仕掛けもしています。1階に設えた開放的なワークショップは、私が育った家の土間のイメージなんですよ。皆が様々に使える空間。そして、居住者たちがカスタマイズしていける空間。完成後、居住者に渡したバトンはつながっていて、今も変化し続けているのは嬉しいことです。それまで、シェアというのはコストを分割する、抑えるといった経済的な住まい方の手段だったわけですが、それを超える新しい価値を提言できたと思っています。

もう一つ。産学共同研究として、野村不動産とずっと一緒に取り組んできた仕事があるのですが、これは分譲集合住宅におけるコモンスペースの調査・研究です。論文に留めず、それを現実の計画にフィードバックするためにまとめたのが「コモンスペースのデザイン手法100」。マンション内のコミュニティ形成をサポートする目的でつくったアイデア集みたいなもので、11年にグッドデザイン賞をいただきましたが、その後もこの研究は継続しています。こうしてサーベイしたものを設計につなげていく仕事や、先述のシェアハウスなどの仕事を経て、次第に「実務」と「調査・研究」の二股が重なってきたように思います。双方が合流する感じ、その手応えをここ数年で感じているところです。

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複数の重責を担いつつ、日々精力的にチャレンジを続ける

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PROFILE

篠原聡子

篠原聡子
Satoko Shinohara

1958年9月3日 千葉県東金市生まれ
1981年3月 日本女子大学家政学部 住居学科卒業
1983年3月 日本女子大学大学院 修士課程修了
4月 香山アトリエ入所
1986年5月 空間研究所設立
1997年4月 日本女子大学 住居学科専任講師
2001年4月 日本女子大学 住居学科助教授
2010年4月 日本女子大学住居学科教授
2013年4月 日本建築学会建築雑誌 編集長(~15年)
2014年6月 野村不動産 ホールディングス株式会社 社外取締役(~20年)
2020年5月 日本女子大学学長
家族構成=夫、息子1人

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