アーキテクト・エージェンシーがお送りする建築最先端マガジン

Architect's magazine

数多の構造が試され、 やり尽くされたように見えても、 どんな“形”にも仕込める 構造デザインの可能性は無限

数多の構造が試され、 やり尽くされたように見えても、 どんな“形”にも仕込める 構造デザインの可能性は無限

佐藤淳

 かかわった建物の一つに、独立初期に手がけた「ツダ・ジュウイカ」という大阪の小さな動物医院がある。水平力を支えるのは、内部に組み上げられた僅か6㎜の鉄板を格子状にした「背板なしの棚」。その構造によって生み出された機能性と快適さと美を併せ持つ空間を、協働した建築家・小嶋一浩は、「あらためて日本だからできることもあることを発見した」と評した。それは、佐藤淳が学生時代から磨いてきた「座屈を操る」術が、初めて具現化された〝作品〞でもあった。「力学を駆使して形態を生み出す」。日本を代表する構造家の仕事は、自ら口にするこのフレーズに集約されている。

最初の夢は宇宙飛行士。しかし建築、さらには構造を選んだ理由とは

 1970年、名古屋市で誕生した佐藤は、ほどなく滋賀県大津市に引っ越し、そこで高校時代までを過ごす。父親は京都薬科大学教授、母親は薬剤師という家庭環境で〝超理系〞に育てられた少年は、小学校高学年になると、「宇宙飛行士になる」という夢を抱くようになっていた。

 大津は、目の前が琵琶湖、振り返るとすぐに山というところなんです。よく覚えていないのだけど、その頃の日記には、毎日「今日はカタツムリを採りに行きました」と書いてある。よほど好きだったんでしょうね、カタツムリが(笑)。

親の勧めもあって、子供の頃から科学系の雑誌などをよく読んでいました。宇宙飛行士になりたかったのも、恐らく天文学とかロケットとかの本の影響だと思うのです。でも、小学生なんて、職業について深くは知らないじゃないですか。中学の後半になると、「ああ、俺が本当にやりたかったのは、宇宙飛行士じゃなくて、飛行士が乗るロケットとかスペースシャトルとかの設計だったんだ」と気がついた。それも、エンジン系ではなくて、流体力学などの力学に基づいたボディの形状の設計です。高校に入る前には、将来はそちらの方向に進みたいという、かなりはっきりした目標を持つようになっていたんですよ。

なぜ機械系ではなかったのか、ですか? 僕は子供の頃から車に酔うのです。あのエンジンのブルブルする振動がたまらなく嫌で。だから、そっちは本能的に避けたんじゃないかな(笑)。

 中学を卒業すると、大津から通える京都の洛星高校へ。ここでは、部活もせずに、大学受験に向けて淡々と勉学に勤しむという、本人曰く「ちょっと寂しい」3年間を送る。しかし、その甲斐あって、89年、東京大学理科Ⅰ類に現役合格を果たす。いよいよ念願の〝宇宙の旅〞に近づいたと考えた佐藤だったが、待っていたのは、今につながる人生の転機だった。

 東大は、2年生の前半を終わった時点で、「進振り」があります。当然、航空宇宙学科を志望したのですが、そこは工学部のなかで最難関。成績順の選考の結果、希望は叶いませんでした。そういう経緯で進学したのが、第2志望の建築学科だったわけです。

建築を選んだ理由は、「力学に基づいた形状の設計ができる学科」と思い至ったから。ただし、建築設計がどういうものか当時はまるでわからず、有名な建築家も誰一人知らなかった(笑)。
だから大いなる勘違いもしていて、建物の力学的な形状の設計も含めて、全部建築家と呼ばれる人がやるのだろうと思っていたんですよ、僕。ところが、実際にはデザイン、構造、設備、音響といった役割分担があるのだ、と。

そんなことも知らずに建築の世界に足を踏み入れてしまったわけですが、「だったら、構造設計だな」と、進路はすんなり決まりました。初めから構造を選ぶような学生は〝希少〞な時代でしたから、ここでは弾かれることもありませんでした。

でも、実際に学んでみると、これがなかなか面白かった。子供の頃、理系科目はわりと自然に頭に入った感覚と同じで、そんなに苦労を感じることもなく、勉強に没頭できたのです。建物を見に行けば、壁をガンと叩いて強度を調べてみたり、指を広げて柱を採寸してみたり。模型づくりも楽しかった。今から思えば、あの時、構造設計の道を選んだのは正解でした。

余談ながら、高校時代に〝寂しい〞時間を過ごしたので、大学では何かやろうと思って、ウインドサーフィンのサークルに入ったんですよ。なんとか乗れるようになって、強くはないけれども、レースに出場したりもしました。

で、そのうちに構造物そのものに興味が湧いてきて。ウインドサーフィンって、ボードが滑走する時の水の流体力学あり、セールが風を孕んで揚力を生むという空気の流体力学あり。テンション構造でもあります。こんな複雑な構築物はないな、と。人がセールをホールドしてバランスを取りつつ風上に進んでいけるところとか、航空機よりも複雑じゃないかと思うほど(笑)。

通っていたのは、鎌倉の由比ガ浜なんですが、海の上にも山の谷間を抜けてきた風の通り道があるんです。そのうち、海流もわかるようになる。そんな大自然を感じながら沖合まで出て行くのは、本当に心地よい時間でした。

数年前から、例えば木漏れ日が溢れるようなナチュラルな空間づくりにチャレンジしています。そういうプロジェクトに、あの時の体験が生きているのは確かだと思うんですよ。

本取材は、佐藤淳構造設計事務所(東京・東麻布)で行われた。「現在のスタッフ数は8名です。独立していったり、新たに入ってきたり。私の仕事のスタイルだと、今くらいの陣容が最適であると思っています」(佐藤氏)
【次のページ】
〝教えない事務所〞に就職。師匠の背中に学びつつ自らの計算手法を構築

ページ: 1 2 3 4

PROFILE

佐藤 淳

佐藤 淳
Jun Sato

1970年7月28日 愛知県生まれ、滋賀県育ち
1993年3月   東京大学工学部建築学科卒業
1995年3月   東京大学大学院
        工学系研究科修士課程修了
        木村俊彦構造設計事務所入所
2000年4月   佐藤淳構造設計事務所設立
2010年4月   東京大学特任准教授
2014年4月   東京大学大学院
        新領域創成科学研究科准教授
2016年9月   スタンフォード大学 客員教授(兼任)

人気のある記事

アーキテクツマガジンは、建築設計業界で働くみなさまの
キャリアアップをサポートするアーキテクト・エージェンシーが運営しています。

  • アーキテクトエージェンシー

ページトップへ