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Architect's magazine

数多の構造が試され、 やり尽くされたように見えても、 どんな“形”にも仕込める 構造デザインの可能性は無限

数多の構造が試され、 やり尽くされたように見えても、 どんな“形”にも仕込める 構造デザインの可能性は無限

佐藤淳

 かかわった建物の一つに、独立初期に手がけた「ツダ・ジュウイカ」という大阪の小さな動物医院がある。水平力を支えるのは、内部に組み上げられた僅か6㎜の鉄板を格子状にした「背板なしの棚」。その構造によって生み出された機能性と快適さと美を併せ持つ空間を、協働した建築家・小嶋一浩は、「あらためて日本だからできることもあることを発見した」と評した。それは、佐藤淳が学生時代から磨いてきた「座屈を操る」術が、初めて具現化された〝作品〞でもあった。「力学を駆使して形態を生み出す」。日本を代表する構造家の仕事は、自ら口にするこのフレーズに集約されている。

〝教えない事務所〞に就職。師匠の背中に学びつつ自らの計算手法を構築

 大学卒業後は、大学院工学系研究科に進み、学部の4年時から在籍した秋山(宏)・桑村(仁)研究室で学ぶ。テーマは「建築鋼構造」、具体的には鉄骨が塑性化してエネルギーを吸収する機構だった。そこで得た「柔らかい構造」についての研究成果は、後の設計にいかんなく発揮されることになる。95年、修士課程を終えた佐藤は、構造設計の大家、木村俊彦の事務所の門を叩く。初めから、就職するならアトリエ系の構造系事務所と決めていた。

 今では誰も信じてくれないんですが(笑)、僕は昔、車に酔うだけではなくて、ひどい人見知りだったのです。そういうのもあって、ゼネコンのような人が大勢いる環境で仕事をするのはちょっと、というのが一つ。工夫を凝らしたデザインを実現するような仕事ができるのは、やっぱりアトリエ系事務所だろう、という印象を持っていたのも、そこを選んだ理由です。

とはいえ、実は就職活動らしいことは何もしていないのです。大学の研究室の先輩が木村先生の事務所に就職していたので、修士2年生になった時、まずは「話を聞きに行きたいのですが」と連絡を取りました。当時は、とりあえずつてのあるところを手始めに、いくつかの事務所を回ってみようと考えていたんですよ。

指定された日に行ってみると、他の学校からもう1人就職希望者が来ていて、2人で〝面接〞されることに。ところが、木村先生は、こちらのことは何ひとつ聞かずに、「今ね、こんな建物を造ってるんだよ」と話し始めるのです。終わると、「まあ、席はあるから、アルバイトでもして、興味が湧いたら来てください」と。さすがに面食らって、「それは採用ということでしょうか?」と尋ねると、「いいよ」という答え。なんと〝先着2名様〞で、就職先は決まってしまったという(笑)。

 大学院で研究する傍ら、佐藤は他の事務所で、個人のアトリエ設計を手伝うアルバイトをしていた。そのバイト先で、木村事務所への就職が決まったことを話すと、「ああ、あそこは大変だけど、頑張りなさい」と励まされたのだった。〝大変〞の意味を知ったのは、入所してすぐのことだ。

 ひとことで言えば、そこは下の人間に〝教えない事務所〞でした。よく言う「背中を見て覚えろ」という丁稚奉公みたいな世界。先生だけではありません。先輩たちにも、不慣れな人間に手取り足取り教えるような雰囲気は、微塵もなかったですね。

例えば、入所してすぐ、「君はこのパソコンを使って」と言われて、当時のMS-DOSのスイッチを入れてみると、チョロンと文字が出ただけで、動かない。どうしたものかと途方に暮れても、誰も手を差し伸べてはくれないわけです。ありえないでしょ、普通(笑)。仕方がないので、自分でMSDOSの参考書を買ってきて、なんとか起動させました。一事が万事、そういう感じ。

でも、そんな環境で仕事をするうちに、だんだん先輩たちのすごさもわかってきました。〝手取り足取り〞のフォローはしないけれども、何かを質問すると、「それについては、あの本のどこそこに書いてある」と。聞いたことに、必ずといっていいほど的確な答えが返ってきたのには、驚きました。答えのありかは教えてあげるから、後は自分で勉強しなさい、ということです。

木村ジイは……本当に何も教えてくれませんでしたね(笑)。先生は、多くの構造家と違って、建築家との打ち合わせの時にその場で手計算をして、部材の寸法やコストをどんどん決めていきました。事務所に持ち帰ったりせずに、です。それはやっぱりすごいことだと思ったのだけど、肝心の何をどうやって計算しているのかは、決してレクチャーなどしてはくれない。だから、後でその時のメモを見て、「こんなことをしているらしい」と読み取り、少しずつ〝盗む〞わけです。とはいえ、本人以外わからない部分もありますから、状況によってどのような計算をすべきなのかは、結局自分の頭で考えるしかありません。

でも、そんなことを繰り返すうちに、自分の手で独自の計算手法が構築できたのは、確かです。〝丁稚奉公〞で鍛えられなかったら、僕は今とは違う設計者になっていたのかもしれませんね。

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独立して事務所を設立。多くの建築家から選ばれる存在に

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PROFILE

佐藤 淳

佐藤 淳
Jun Sato

1970年7月28日 愛知県生まれ、滋賀県育ち
1993年3月   東京大学工学部建築学科卒業
1995年3月   東京大学大学院
        工学系研究科修士課程修了
        木村俊彦構造設計事務所入所
2000年4月   佐藤淳構造設計事務所設立
2010年4月   東京大学特任准教授
2014年4月   東京大学大学院
        新領域創成科学研究科准教授
2016年9月   スタンフォード大学 客員教授(兼任)

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