東京を磁力ある世界一の都市に変革する大規模都市再開発のプロフェッショナル集団
森ビル 設計統括部
都市再開発業務の川上と川下が同居
都市に広がる無限の可能性に挑戦する森ビルの設計部門には、新規プロジェクトの計画、設計、監理や既存物件のリニューアルのほか、業務管理、設計企画、国内外のコンサルタント、外構から土木まで、都市をつくり育むプロフェッショナルが集結。もちろんその大半は、建築学科出身だ。「PDCAサイクルの一環として、施設運営サイドの意見を新規プロジェクトの開発にフィードバック」できることが、ディベロッパー設計部門の最大の強みといえるだろう。
社内ローテーションにより、部を越えた人事交流も活発に行われている。設計を知る人材は各部署で必要とされるため「設計になかなか返してくれない」のが悩みの種だが、それが同社全体の強さを醸成している。
「一般的な設計事務所の場合、プロジェクト完成までが主な仕事。しかしここでは、都市のグランドデザインを白紙から描き起こすことに始まり、プロジェクト完成後の技術的な管理、メンテナンスまでを担っています。都市開発のまさに川上から川下までが同居しているのが、森ビル設計統括部の特徴です」と取締役の本耕一氏は説明する。
冒頭の陣容はディベロッパーとしての森ビルの思想を反映したものだ。
「敷地をはみ出して、都市のグランドデザインを描き、それを各建築へと具現化していくのが常」(本氏)。例えば「ヴァーティカルガーデンシティ構想」は超高層ビルにより垂直型都市を計画することで生まれた地表を緑化し様々な機能を持たせる。「六本木ヒルズ」「虎ノ門ヒルズ」も踏襲する、森ビルの都市開発の基本コンセプトである。
「夢物語のようなグランドデザインを考えながらも、他方では、エレベーターやエスカレーターでの縦移動はどうするのか、緊急時の避難ルートは、新しい技術の安全性はと、細かいところまで綿密にシミュレーションします。未来を創造しながらディティールを検証し、あらゆる問題をクリアしないと着工できませんから。果てしない作業になりますが、その繰り返しで育ってきた部署ですし、そこが森ビルにおける設計業務の魅力となっています」
街は人が集まってこそ完成するという理念から、各種イベントによりコミュニティづくりを主導するなど、ソフト面からのアプローチも。また、同社の開発によって場に付加価値をつける磁力ある街づくりを志向する。
「ヴァーティカルガーデンシティに何を複合したらより多くの人が喜び、集まってくれるのか。住宅、オフィス、商業施設にプラスアルファ、これは難しい課題です。例えば、アークヒルズにはコンサートホールやテレビ局がありますが、プロジェクトごとに付加価値の高め方を変えていく必要がある。これが森ビルに課せられた命題ですね」
- 都市をつくり、都市を育む仕事
- 都市をつくり、都市を育む仕事
都市をつくり、都市を育む仕事
現在は、プロジェクトが10前後進行中だ。直近の完成は「虎ノ門ヒルズ」だが、森ビル創業の地でもある虎ノ門周辺の開発、活性化は今後も進んでいく。
「我々の事業は再開発が主ですから、地権者の方々の同意が得られた時がスタートとなります。その意味ではなかなかスケジュールをコントロールしづらいのですが、虎ノ門、六本木、麻布
台エリアのさらなる活性化は可能な限り推進していきます」
海外案件については、上海環球金融中心が評価されたのを機に、主にアジアのディベロッパーなどから、複合都市開発のアドバイザリー、コンサルティングを依頼される件数が増えており、ヴァーティカルガーデンシティの理念を生かしたプランを提案している。また国内の施主からは「クライアントの立場、施主の立場としてアドバイスがほしい」というオーダーも多く寄せられているそうだ。
「都市づくりとは、そこに住まい、働き、行き交う人々の営みを想像し、よりよい未来を実現すること。そして完成後も時代にフィットするよう、常に進化・成熟させていく。〝都市をつくり、都市を育む〞。この両輪を継続、発展させていきます」
- 本 耕一
もと・こういち
1981年、日本大学理工学研究科建築学専攻修士課程修了後、日建設計入社。
2002年、森ビルに入社し、設計部顧問に。同年、取締役に就任。
03年、常務取締役、11年より現職。
六本木ヒルズ、表参道ヒルズ、平河町森タワー、虎ノ門ヒルズなど、
森ビルが手がけるプロジェクト全般を計画。
- 森ビル株式会社
1955年、森泰吉郎により当社の前身となる森不動産設立。
59年に森ビル株式会社設立。以来、オフィス、住宅、商業、文化施設等の複合施設を中心に、
東京都心部における先進的な都市再開発事業を手がける総合ディベロッパー。