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時流に乗るのではなく、 自分の視点で「何が今の課題か」を 見つけて、勝負する。 その姿勢が一番大切だと思う

時流に乗るのではなく、 自分の視点で「何が今の課題か」を 見つけて、勝負する。 その姿勢が一番大切だと思う

深尾 精一

 キャリアの大半を大学人として過ごした深尾精一は、自らを「建築家というより、設計が好きな研究者」とする。
東京都立大学(当時)に着任したのは1977年。以降、35年以上にわたって教育・研究に尽力してきた。深尾にとって「圧倒的な存在」である内田祥哉氏の研究室に在籍して以来、一貫して建築構法に関する研究に取り組み、その広く、深い活動は、建築業界に多大な貢献をもたらした。主な作品には「武蔵大学科学情報センター」「実験集合住宅NEXT21」、自邸の増築「繁柱の家」などがあり、これらはいずれも「今、何が必要とされているか」を世に問う意欲的なものだ。深尾の歩みは、建築の〝奥深さ〞とともにある。

研究の集大成として作品を発表し、大学でも精力的に活動する

 本稿の冒頭で触れたように、深尾の自邸は変遷を重ねてきたが、すべて自身の〝作品〞である。大学院生時代に結婚したのを機に、深尾は生まれた家を簡単に改造して住み始め、娘が生まれた翌年には、建て替えとして「沓掛の家」を設計。そして、96年に増築した「繁柱の家」は、日本建築学会の作品選奨を受賞。建てた当時から興味を持つ建築関係者が後を絶たず、これまでに1000人以上が訪れているという

 沓掛の家のほうは、僕の住まいの原風景を娘にも引き継がせたいと考えて設計したものですが、当初から将来の増築は計画していたんです。それが、15年後に建てた繁柱の家。この時は、せっかく建築を研究している人間が建てるのだから、何か時代に訴えかけられるものにしようと。時間をかけてプランを描くなか、考えついたのが繁柱構法でした。伏見稲荷の鳥居のごとく、柱を密に建てて壁のようにする構築方法で、結果的に、スギとヒノキの四寸の正角材だけを600本ほど使って建てています。柱だけでなく、天井も床もすべて四寸角の柱材で。

この頃、戦後に植林されたスギやヒノキが柱材としての伐採期を迎えていましたが、需要は低迷しており、ほとんど使われない状態でした。外材に押されて価格が安かったのにもかかわらず……。今でこそ声高になってきたけれど、27年前の当時は、国産材を大量に使おうとする気運はほとんどありませんでした。でも僕は、安いのだからたくさん使わない手はないし、国内の木材生産が抱える問題への一つの解法になると考えたわけです。

グリッドの機能を最大限に発揮させ、様々なアイデアを盛り込んだ繁柱の家は、それまでの建築構法に関する研究のいわば集大成です。社会に今、何が必要とされているか。そこに一つの解決方法を示し、さらに工夫を入れることで「こんな家ができますよ」と示したつもりです。まぁ、自分の家だと好きにできるから、本来は建築家としての仕事ではないけれど、今もって多くの建築家が面白がってくれるのは、高い評価として受け止めています。

77年に着任した東京都立大学は、学科の改称や他大学との統合などによって大きく変容したが、深尾の研究・教育に対する姿勢に変節はない。こと教育者としては、守り続けてきたスタンスがある。それは、学生たちに「建築を好きになってもらうこと」「興味を持たせること」。この点においても、深尾は恩師・内田氏の薫陶を受けている。

 内田先生の講義は〝気づかせる〞という感じで、ユニークでした。普通、建築構法ならば床・壁・屋根・天井のつくり方を一通り教えるものなのに、学年ごとに毎年、内容を変えていたのです。僕たちの学年の時は全13回屋根の講義だけ、次の学年は壁だけといった具合です。大学の先生って初年度は大変だけれど、いったん講義ノートをつくってしまえば、先は繰り返せばいい。実際、多くがそのパターンです。でも、「教えることで自分が学ぶ」「その自分が面白いと思えなかったら、学生も面白くない」というのが内田流。その背中を見て育ってきたから、僕も学生に対しては、教えるというより、建築に興味を持たせることを重んじてきました。学生が教わらなきゃいけないことは、教科書や本で十分ですから。

大学の経歴においては、文部科学省の事業「21世紀COEプログラム」の拠点リーダーを務めたのが大きかったですね。東京都立大学として申請したのは2003年度で、テーマは、我々に蓄積があって勝負できそうな建築ストックの活用でいこうと。採択されたことで学内でも認められ、大学の後半10年間は幸せに過ごせました(笑)。

年間予算がつくので、海外出張も自由。団地再生に関しては先進国であるオランダに何度も視察に出向き、いわゆるマスハウジング期の集合住宅をどう活用しているかを調査して日本で発信したり、あるいは試行建設に生かしたり、かなりの活動につなげてきました。また、リノベーションで活躍する青木茂さんを教授として招くなど、教育への反映にも努めました。やはり教えるというより、〝場〞をつくることが重要だという考えからです。これらは、大学における研究生活のなかでも、非常にやりがいのある仕事でした。

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飽くなき建築への興味。多岐にわたって活動を展開する

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PROFILE

深尾 成一

深尾 成一
Seiichi Fukao

1949年3月27日 東京都杉並区生まれ
1971年6月   東京大学工学部建築学科卒業
1976年3月   東京大学大学院工学系研究科 建築学専攻博士課程修了(工学博士)
1976年4月   早川正夫建築設計事務所所員
1977年10月  東京都立大学工学部 建築工学科助教授
1995年4月  東京都立大学工学部 建築学科教授
2005年4月  首都大学東京都市環境学部教授(大学改組による)
2013年3月  首都大学東京 定年退職 名誉教授

家族構成=妻、娘1人

その他活動

文化庁文化審議会文化財分科会専門委員(2002年~11年)
日本学術会議連携会員(2006年~11年)
日本建築学会副会長(2008年~09年)
中央建築士審査会会長(2010年~20年)
国土交通省社会資本整備審議会建築分科会会長(2015年~23年)

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