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多くの人が新しい体験や気づきを 得られるような場、ものをつくりたい。 そのために必要なことは 何でもチャレンジする

多くの人が新しい体験や気づきを 得られるような場、ものをつくりたい。 そのために必要なことは 何でもチャレンジする

永山祐子

 26歳の時、若くして独立した永山祐子は、住宅はもちろん商業施設の空間設計、話題の大型プロジェクトなど、スピード感をもってその活躍の場を広げてきた。代表的なプロジェクトに「LOUIS VUITTON京都大丸店」「豊島横尾館」などがあり、近年のものとしては「ドバイ国際博覧会日本館」や「東急歌舞伎町タワー」が挙げられる。とりわけ光のデザインに定評がある永山だが、素材のポテンシャルを引き出し、新しい現象を起こすというチャレンジングな取り組みが印象的だ。「建築は未来を描く仕事」だと定義する永山にとって、〝チャレンジ〞は極めて重要な支柱となっている。

今までになかったものを。大型プロジェクトにおいてもチャレンジを貫く

 新宿の新たなランドマークとして2023年4月にオープンした「東急歌舞伎町タワー」は、歌舞伎町エリア最大となる超高層の複合施設だ。永山はコンセプトと外装デザインを担当。かつては沼地だったという歴史やシネシティ広場にあった噴水をモチーフとし、従来の超高層ビルにはない繊細さを追求した。ここでもやはり、永山が得意とする光のデザインが異彩を放つ。

 提案にあたっては、当初からガラスの反射をイメージしていました。超高層ビルは基本オフィスビルなので権威的というか、マッチョな表現が多いけれど、歌舞伎町タワーは全館エンタメ施設で構成されるので、柔らかいニュアンスを持たせたかった。それを表現するために技術的なチャレンジをしたのが、外部のガラス表面にセラミックプリントを施す第1面印刷です。

 セラミックプリントを外装に用いる表現は念願でしたが、それまで日本ではほとんど施工例がなくて。でも、ヨーロッパを中心に実施例はあるし、近年、日本でも事例が出始めています。第1面印刷じゃないとガラスの反射で昼間は見えず、表現したい柔らかさが出ないと、この時も周囲の説得に腐心しました。耐久性についても十分に調査・配慮し、結果、理解を得ることができたのは嬉しかったですね。

 ビル高層部の約4000枚のガラス表面に繊細な文様を施し、ビルを覆うガラスの反射をコントロールすることで、水のきらめき、しぶきの白っぽいフワッとした感じを表現することができました。昼間の光の反射に負けないし、夜も歌舞伎町の街の光を受けて白く光っています。あれだけ大きなものですから、当然、いろんな意見はあるでしょうが、今までとはまったく違う建ち方にはなったと思います。やっぱりつくり手としては、未来に向けてチャレンジしていかないと。何年後かに一つのスタンダードになれば、そんな思いで常に取り組んでいます。

 今、TOKYO TORCH(東京駅前常盤橋プロジェクト)でも低層部の外装デザインを担当しているんですけど、新たな視点を示しながら参加しています。目の前の広場とのつながりをつくるために従来のつるんとしたビルの足元ではなく、広場から60ⅿ上がれる約2㎞の散歩道を巻きつけました。上層階であっても路面に面することになります。通常の商業エリアでは、エスカレーターなどの縦動線を中心にお店が内側の共通環境に向いているため、ストレージになることが多いのですが、そのようなニッチな場所を路面とすることで、グローバルショップではなく、インキュベーション的なスタンド店などができるといいなと思っています。つまり、従来の裏と表をひっくり返す歩道によって、アクティビティ自体がファサードになると。日頃、ヒューマンスケールの設計をしている私たちには、都市開発の専門家とは違った小さなヒューマンスケールの視点があります。それらを新たに取り入れることができれば、大規模プロジェクトのデザインの取り組み方も変わってくる気がしています。

 ドバイ国際博覧会で日本館のデザインアーキテクトを務めた永山は、現在、大阪・関西万博に向けて2つのパビリオンのデザインを掛け持ちしている。一つは民間パビリオン、もう一つは行政や公益社団法人、カルティエなどが出展する「ウーマンズパビリオン」だ。特に後者については、ドバイ万博日本館のファサードをリユースするという建築的にも画期的な要素が含まれており、注目が集まっている。

 ファサードのリユースは、日本館を設計した当初から構想にありました。外装デザインのみならず、構造の役割も果たす「組子ファサード」を取り入れたのには理由があって、ドバイ現地での職人さんの技術レベルがよくわからなかったこと。それで、プラモデル的につくれるシステムを考えたんですけど、これならば万博以降もどこかで使えるはずだと。それが大阪につながったのですが、前回から次の万博にパビリオンの一部が転用されるのは初のケースだと思います。

 日本の建築基準法では構造体のリユースが認められておらず、これも難題でしたが、仮設だということ、主要構造物ではないということで、どうにか大阪府にOKをいただけたんです。加えて、ドバイでの丁寧な解体、日本への資材の輸送、保管などの課題もたくさんあったけれど、多くの方々の理解と協力を得て実現できることになりました。私としては、万博という場でこそ、新しい取り組みとしてリユース材の活用を実現してみたかった。しかも構造体であることが重要なポイントで、懸念されるリスクをどう担保するか、解決していくか――これをうまく進めていかないと、今後の実社会でのリユース材活用の広がりにもかかわると考えています。

 25年にパビリオンが完成したら、未来に向けた大切なメッセージとして多くの方々に受け取ってほしいですね。私はやっぱり、多くの人が新しい体験や気づきを得られるような場、ものをつくりたいのです。そのために必要なら何にでもチャレンジし、今までなかった体験を生む場所をつくり続けたいと思っています。

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PROFILE

永山祐子

永山祐子
Yuko Nagayama

1975年12月18日 東京都杉並区生まれ
1998年3月 昭和女子大学
生活科学部生活美学科卒業
4月 青木淳建築計画事務所入所
2002年4月 永山祐子建築設計設立
家族構成=夫、息子1人、娘1人

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