建築には無限の可能性が 広がっている。何にでも挑戦できるし、 何でもつくれる。その可能性に目を 向ければ、こんなに面白い仕事はない 建築家の肖像 部憲明アーキテクチャーネットワーク Biographies of Legendary Person
岡部憲明
岡部憲明が建築家としての活動を本格的にスタートさせた地はフランスである。25歳の時に渡仏し、「ポンピドゥー・センター」のプロジェクトに参加したのを皮切りに、イタリアでも活躍。日本に活動拠点を移したのは1989年で、著名な仕事として挙げられるのは、やはり「関西国際空港旅客ターミナルビル」と「小田急ロマンスカー」だ。通じて、自動車や船舶、鉄道、家具などといった建築以外の多様な領域に携わってきた岡部は、常に白紙からチャレンジを重ね、新しい方法論をも編み出してきた。そこに通底するのは「人間のための空間」「人間のためのデザイン」。人間性を重視した社会環境の実現が不変的なテーマである。
設計事務所を経て渡仏。ポンピドゥーの設計チームに参加する
大学卒業後、岡部は山下寿郎設計事務所(現山下設計)に入所する。霞が関ビルディングやNHKセンターなどを手がけた老舗の組織系建築設計事務所で、「エンジニアと一緒に仕事ができる環境を求めて」選んだ先だ。在籍は約2年間と短いが、多くの仕事に携わり、大きな現場を知ったことは、岡部にとって確かな経験となった。
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とてもいい事務所でした。僕が描いた図面には先輩が全部赤を入れてくれて、丁寧に教えてもらったのを覚えています。仕事量がけっこう多かった時期で、いろんな経験をさせてもらえたのは大きかった。一方で、僕はフランス語を勉強したくて、業務後は日仏学院に通っていました。相変わらず惹かれていたフランス哲学や文化にもっと触れたくて。学校通いもあって、朝は時々遅刻していたけれど(笑)、自由にさせてくれましたね。
せっかく勉強しているのだからと、試しに受けた留学生試験に運良く合格したのは、2年ほど経った頃です。フランス政府給費研究生としての留学ですが、当地の大学でも反体制運動が続いていたから、大学ではなく国家機関が受け入れてくれることになりました。慰留してくれた山下寿郎設計事務所には申し訳ないと思いつつ、フランスへ渡ることを決めたのです。
渡仏してからは実際に官公庁に入り、スタートとして、コルシカ島の調査や観光開発を手伝いました。その後、パリのレ・アール周辺で都市計画の仕事を手伝っていた時に、すでに動き始めていたポンピドゥー・センターのプロジェクトを知ることになります。65年にル・コルビュジエが他界して以降、フランスでは活発な建築活動が少なかったのですが、唯一、興味がひかれ、面白そうに思えたのがポンピドゥーでした。興味を持った僕は、先にこのプロジェクトの設計チームに入っていた石田俊二さんに連絡を取り、結果、参加が叶ったというわけです。
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レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースが率いるプロジェクトに参加したのは74年。以降、78年にIRCAM(音響音楽研究所)が開館するまで、岡部はチームの一員として設計建設に携わった。そして、その後も拡張計画や展示設計など、ポンピドゥー・センターとの付き合いは長く続く。この巨大で複雑な文化施設の設計と運営を知ったことは、岡部にとって間違いなく貴重な経験となった。
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当時、僕は26歳で一番若かったけれど、チーム自体の平均年齢が30歳を切るような組織で、何より多国籍でした。実際に一度数えてみたら16カ国も。あの時代としては非常に珍しかったと思いますね。ちなみにフランス人は少なかった。鉄骨や配管を剥き出しにしたラディカルな建物は、エッフェル塔以来の強烈な反対と物議を醸していたから、フランスの建築家は入りにくかったのでしょう。いずれにしても、世界中から集まった若き建築家集団は、コンセプト的にも技術的にも実験的なこの仕事に、皆情熱を燃やしていました。
ポンピドゥーで受けた影響は数々ありますが、特に出会った人々が素晴らしかった。ピアノはもちろん、日本とはまた違ったスタンスを貫く建築家たち、そして、世界的エンジニア集団であるアラップも。学生時代から、いつかアラップと仕事ができればと思ってはいたんですけど、それが叶ったのは光栄でした。アラップによる技術的保証が、極めて新しい建築を実現する最大の助けになったことは確かです。
橋をつくる技術を建築に組み込み、階層を重ねた建物をつくるというのは、普通の建築では考えられない構造ですから、大いなるチャレンジに立ち合うことができました。わかっていることをやるのではなく、初めてつくるということがいかに新鮮で刺激的か、それをこのプロジェクトで体得しました。ポンピドゥーの建築は紆余曲折を経ながらも、ピアノらのコンペ案と極めて近いかたちで、そのデザインコンセプトを実現したと思います。パリの街とはまったく相貌が異なる建築ゆえに、建築家たちが批判を受けたこともありましたが、強く支持してくれたフランス政府の官僚たちの存在も大きかった。関係者の誰もが優秀で、ヨーロッパ中の英知が集まっていた場に身を置けたのは、本当に貴重な経験となりました。
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- 欧州での活動から得た経験と知見を携え、日本で大規模建築に挑む
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Noriaki Okabe 1947年12月9日 静岡県富士宮市生まれ
1971年 早稲田大学理工学部建築学科卒業
山下寿郎設計事務所入所
1973年 フランス政府給費研修生として渡仏
1974年 ポンピドゥー・センター設計チーム参加
1977年 Piano + Rice Associati 設立
1981年 Renzo Piano Building Workshop Paris
チーフアーキテクト
1986年 フランス政府公認建築家資格取得
1988年 Renzo Piano Building Workshop Japan
代表取締役(~94年)
1995年 岡部憲明アーキテクチャーネットワーク設立
1996年 神戸芸術工科大学教授(~2016年)
2007年 神戸芸術工科大学博士(芸術工学)