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建築には無限の可能性が 広がっている。何にでも挑戦できるし、 何でもつくれる。その可能性に目を 向ければ、こんなに面白い仕事はない 建築家の肖像 部憲明アーキテクチャーネットワーク Biographies of Legendary Person

建築には無限の可能性が 広がっている。何にでも挑戦できるし、 何でもつくれる。その可能性に目を 向ければ、こんなに面白い仕事はない 建築家の肖像 部憲明アーキテクチャーネットワーク Biographies of Legendary Person

岡部憲明

 岡部憲明が建築家としての活動を本格的にスタートさせた地はフランスである。25歳の時に渡仏し、「ポンピドゥー・センター」のプロジェクトに参加したのを皮切りに、イタリアでも活躍。日本に活動拠点を移したのは1989年で、著名な仕事として挙げられるのは、やはり「関西国際空港旅客ターミナルビル」と「小田急ロマンスカー」だ。通じて、自動車や船舶、鉄道、家具などといった建築以外の多様な領域に携わってきた岡部は、常に白紙からチャレンジを重ね、新しい方法論をも編み出してきた。そこに通底するのは「人間のための空間」「人間のためのデザイン」。人間性を重視した社会環境の実現が不変的なテーマである。

欧州での活動から得た経験と知見を携え、日本で大規模建築に挑む

 ポンピドゥー・センターが開館した後、岡部はイタリアに足場を移す。レンゾ・ピアノの意向のもと、アラップの構造エンジニアだったピーター・ライス、先の石田俊二氏との4人でつくった研究組織において、岡部は実験的なプロジェクトに取り組んだ。

 最初の仕事は、イタリア国営放送局による『開かれた建築現場』という連続教育番組への出演でした。イタリア語ですから、大半はレンゾがしゃべっていましたが(笑)。一般の人たちが建築を知るための番組で、説明用の模型をつくったり、映画なみの映像をつくったり、面白かったですよ。建築のアカデミズムとはかかわりなく、市民目線であった点に意義もありました。一般の人々が家や都市を考える新たな方法を示したことで、社会的インパクトを与えられたと思っています。

この仕事が終わりかけた頃、とんでもないプロジェクトの話が舞い込みました。フィアットの新コンセプトカーの計画です。フィアット社が開催したコンペは、自動車生産の常識を覆すような提案を求めたものでしたが、僕たちのコンセプト案が非常にいいと。この機密プロジェクトの担当になった僕は、トリノにできた新しいデザイン事務所を仕事場として、2年間ほど籠城状態で臨みました。

プロジェクトの目標として掲げられたのは、車重を30%減らし、省エネを達成すること。取り入れたのはサブシステムによる実験自動車という考え方で、簡単にいえば、構造体の基本となるスチールにプラスチックパネルを取り付けるというもの。実現までの過程では多くのエンジニアや化学メーカーなどと協働し、それまで知らなかった知識や技術を手に入れることができました。自動車生産に関することはもちろんですが、外部の衝撃から人間を守る構造解析、プラスチックや接着技術のこと……実に多くを学びました。振り返ってみると、この頃が一番クリエイティブな時期で、建築の枠を広げることができたように思います。

 88年、岡部は関西国際空港旅客ターミナルビルの国際コンペにチームリーダーとして参加し、最優秀賞を勝ち取った。これを機に帰国し、大阪に「RenzoPiano Building Workshop Japan」を設立、同プロジェクトの設計責任者として、関空開港まで6年におよぶ日々を駆け抜けた。

 大規模で複雑な建築になればなるほど、その形態、空間を決定するアイデアとコンセプトを明確に決めることが重要です。空港の設計は初めてだったけれど、日常的に利用していたから、旅客の立場から何が大切かを徹底的に考えました。そのなか、浮かび上がったコンセプトは「空間の方向性と透明性」。ターミナルビルのどこにいても自分の場所がわかり、誘導に頼らなくてもいい空間のデザイン追求です。

巨大なスケールにどんな空間と形態を与えるか――コンペの時に考えていたのは、建築を分割しないで全体を一つのフォルムにまとめること。これは大きな挑戦でした。用いた方法は、プロジェクト以前から追求していた幾何学的アプローチ、ジオメトリーです。この方法によって構造部材だけでなく、外部を覆うステンレスパネルや窓ガラス、内装の天井パネルなどがすべて正確に位置づけられ、さらに、その95%ぐらいは同じサイズでつくることができます。だから、屋根の外装には8万2600枚のパネルが使われていますが、実はエコノミック。最初の頃は「あんな屋根をつくっちゃって、高いだろう」と言われたものですが、コスト軽減も必死に考えたんですよ。このプロジェクトはバブル期の入札だったから、以降のコスト調整には大変な困難があったけれど、海外企業も含む巨大な施工体制を整えることでクリアしてきました。

そして、ジオメトリーと同時にテーマにしたのは環境制御の技術です。オープン・エアダクトと名付けた環境制御システムは、空間全体の空気を調整するマクロ空調と、人がいる低い部分を快適にするミクロ空調を組み合わせたもので、これも新たな提案でした。ポンピドゥー以来の協力者であるアラップとの協働で実現できたものです。ターミナルビルの天井には空調機器もダクトも照明器具もありませんから、吊りものは軽いテフロン膜だけ。落下物がなく安全でもあります。それは、開港して年が明けた途端に発生した阪神淡路大震災の折に証明されました。 設計体制は4社のコンソーシアム(RPBWJ、日建設計、パリ空港公団、日本空港コンサルタンツ)で構成されていたから、全体の設計を進めるうえでは調整や組織づくりに時間を取られ、しんどい時期もありました。でも、何より皆には「日本に素晴らしい国際空港をつくる」という情熱があった。そして、すべての過程においてコンセプトを貫けたからこそ、この建築はバランスの取れた大規模建築として成立したのだと思っています。

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PROFILE

岡部憲明

岡部憲明
Noriaki Okabe

1947年12月9日 静岡県富士宮市生まれ
1971年 早稲田大学理工学部建築学科卒業
山下寿郎設計事務所入所
1973年 フランス政府給費研修生として渡仏
1974年 ポンピドゥー・センター設計チーム参加
1977年 Piano + Rice Associati 設立
1981年 Renzo Piano Building Workshop Paris
チーフアーキテクト
1986年 フランス政府公認建築家資格取得
1988年 Renzo Piano Building Workshop Japan
代表取締役(~94年)
1995年 岡部憲明アーキテクチャーネットワーク設立
1996年 神戸芸術工科大学教授(~2016年)
2007年 神戸芸術工科大学博士(芸術工学)

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